有明省吾の実像を追え!(後編) ※前編はこちら
「極真空手、思い出を挙げればキリがない」の第55回。今回も、極真会館の前身である大山道場にまつわる話。夢とロマンがたっぷり詰まった大山道場の取材に奔走していた時のエピソードを綴っていきたいと思う。
前回に引き続き、ボクの大山道場取材の集大成とも言えるムック本『蘇る伝説 大山道場読本』制作にまつわるお話。大山倍達総裁が極真史上に残る最高の天才児として名前を挙げた、有明省吾=春山一郎の実像を追う中で、意外な証言を得たのである。※何のことか分からないという人は第89回のコラムを読んでからこちらを読み進めて下さい。
極真会館の前身である大山道場、そのさらに前身である目白野天道場時代の弟子だったというA氏に電話でアポを取った時のことだ。昔の写真が欲しかったため、アポの際は写真を貸して欲しいと伝えるのが常だったのだが、A氏にも聞いたところ……。
A氏「何枚かありますよ。目白時代の弟子たちが集まって、大山先生の還暦を祝った時の写真もあるし、昔の写真もあります」
ボク「それは凄いですね。ぜひ貸していただけますか」
A氏「ああ、そうだ。漫画に有明省吾っていうのが出てくるじゃない? あのモデルになった先輩も一緒に写っている写真もあったはずですよ」
ボク「ええっ! 春山一郎の写真があるんですか?」
A氏「いや、その人ではなく……」
これにはビックリした。春山一郎ではない有明省吾ってどういうことだ、と。A氏はさらに続けた。
「その春山さんって人は知らないけれど……