
立嶋がプロデビューしたのは1988年7月、ボクがゴング格闘技編集部にアルバイトで入ったのが1989年1月。ジャンルは違うがほぼ同期ということもあり、ボクは勝手に立嶋と共に成長していったと思っている。
そう思うのには理由がある。ある日、立嶋はこんなことを言ったのだ。「ボクシングの記者は試合前の練習を見て、計量を見て、試合を見るのが当たり前。なぜ格闘技雑誌の人は練習を見に来てくれないんですか?」。単純に、言われてみればその通り。格闘技というジャンルの括り自体が広いので全て見に行くわけにはいかないが、大きな試合の前にはそういう取材があってもいいんじゃないか、と思った。
「とにかく一度、練習を見に来てくださいよ」と立嶋に誘われるままに(そこまで言うのなら行ってやろうじゃないの! という対抗意識みたいなものもあった)、ボクはさっそく「練習が見たい」と申し込んだ。全日本キックの宮田充さん(現・興行部長)は快く了承してくれて、一緒に付いてきてくれた。
初めて行ったのは1993年3月27日の中島貴志戦の前だった。どうせなら、両方の試合前を取材して試合レポートに活かそうと考え、両選手のジムへ行くことに。練習風景を撮影するとかではなく、練習を見るための取材というのはこれが初めてだった。恥ずかしながら、ゴン格編集部に入って4年目にしてである。
正直なところ、メニュー的にも内容的にも時間的にも、それほど驚くような練習内容ではなかったことを記憶している。立嶋が「僕の練習は凄いですよ」と言っていたので、過剰に期待しすぎていたのかもしれないが。ただ、誰よりも早くジムへ来て、一番最後に帰るというのは本当だったことと、サンドバッグに蹴り込むローキックの威力がハンパではなかったことが印象に残った。
立嶋VS中島は“これぞ日本人対決”といえる両者の意地のぶつかり合いとなり、後楽園ホールを熱狂させる名勝負となった……