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 2011.1.19  「振り返れば、やっぱり格闘技」 第88回 by熊久保英幸
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「極真空手、思い出を挙げればキリがない」の第53回。今回は、極真会館の前身である大山道場にまつわる話。夢とロマンがたっぷり詰まった大山道場の取材に奔走していた時のエピソードを綴っていきたいと思う。

 ボクが『ゴング格闘技』にアルバイトとして入ったのが1989年1月。それから半年後に契約社員、1年後に社員となって、ある程度ページ作成や記事を任されるようになってきた頃の話。この頃と言えば、編集長の近藤隆夫氏(現スポーツライター)、お手伝いで宮地克二氏(現Fight&Life誌編集長)、そしてボクの3人でゴン格を作っていた。

 たしか1990年の3月頃に初めての後輩が出来て、ようやく雑務から開放されるかと思ったら、激務に耐え切れず半年くらいで辞めてしまった。その後、1991年の5月くらいに福島知好氏(現ワールド空手編集長)が入ってきて、編集部は近藤氏とボクと3人体制になった……と思ったのもつかの間、近藤氏が『第5回全世界大会』を前にして辞めてしまい、また2人になってしまったのである。

 編集長が辞めてしまい、どうなるんだろう……と不安に思っていたら、編集人の舟木さんから「お前がリーダーとしてやるんだ。大丈夫だ!」と言われ、「そうか!」とその気になってボクがゴン格を引っ張っていくことになった。いま思えば、何を根拠にそう言われたのか分からないが、とにかくやるしかないという状況だったのだ。

 それで新体制になって最初に作ったゴン格が、「第5回全世界大会」の試合レポートがメインだった1992年1月号(発売は1991年11月23日)だ。極真からスタートしたことに、何となく縁を感じる。当時のゴン格はプロレス(主にUWF系)と極真がメインで、まだ格闘技とプロレスの住み分けがハッキリ出来ていなかったのと、プロレスが圧倒的な人気を誇っていたのでアントニオ猪木が表紙になったり、大仁田厚が出てきたりとまさにカオス状態。「プロレス事件史」なんていう企画の号を2回やって、2回とも完売したこともプロレスの掲載に拍車をかけていた。

 とにかく売らなければ、とリーダーには任命されたが肩書きはないボク(後に副編集長という肩書きがついて、その後に編集長となるのだが、会社的には編集部に入って2年くらいで肩書きが付くのはどうだろう、というような理由で最初は何の肩書きもなかった)は思っていたので、プロレスの企画も連発したのだが、本当にやりたいのはこれじゃないんだよな……という想いは少なからずあった。

 そこで1992年5月号に、満を持して送り出したのが「極真40年史」という企画だった。年表を眺めていたら、大山道場が出来てちょうど40年目にあたる年だった、ということで思いついた企画である。その前年の5月号で「百人組手伝」という百人組手の特集をやったところ、完売していたので企画はすんなり通った。

 ここでボクが目をつけたのが大山道場の存在だった………

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