
「極真空手、思い出を挙げればキリがない」の第64回。この連載コラムも次回で通算100回目を迎えるので、「極真空手、思い出を挙げればキリがない」の総決算として、今回と次回は極真空手の創始者である故・大山倍達総裁との思い出を振り返ってみたい。
1994年4月26日に総裁が亡くなられた2カ月前くらいだったと思う。ボクは最後のインタビューを極真会館総本部の総裁室で行った。テーマは全日本大会が始まって以来、ナンバーワンの選手は誰か、というようなもので、総裁はいろんな選手の名前を挙げた。中には「この選手は上位に入っているが、そんなに強くはなかった」と意外な評価もあった。
かなり話はさかのぼって、1969年9月に開催された第1回全日本大会のことについては、「もし藤平昭雄(キックボクサーの大沢昇)が出ていたら優勝していた」と言っていた。総裁にインタビューをすると、必ずと言っていいほどやめていった弟子たちについて苦言を呈するのだが、藤平については1度も非難するようなことは言わなかった。常にその稽古熱心さを褒め称えていたのである。
藤平と並んで常に高評価だったのは、ご存知『空手バカ一代』に登場する有明省吾こと春山一郎だ。歴代の弟子たちの中で最強だったと常に評価していたこともあって、「もし春山が全日本大会に出ていたら、3連覇、いや5連覇しただろう。間違いなく世界チャンピオンになった」とまで言っていた。
それと、第3回大会で準優勝している大山泰彦のことも高評価していた。もっと早く全日本大会が開催されていたら、全日本チャンピオンになっていただろう、と。ちなみに、総裁が“空手の天才”として名前を挙げたのが、春山、大山泰彦、山崎照朝、松井章圭の4人だった。
外国人ではジョン・ブルミンとカレンバッチの評価が高かったが、もし世界大会に出ていたら優勝したかもしれないと名前を挙げたのは、故ジャック・サンダレスクである。『空手バカ一代』には総裁のライバルとして登場(名前はジャック・サンダクレス)、『四角いジャングル』では闇の四天王として新日本プロレスとの対抗戦に出すという役割で登場している人物だ。
これはちょっと意外なのだが…………