国際ブラジリアン柔術連盟
「1st No Gi World 2007」
2007年12月15日(土)米国 ロサンゼルス州立大学ドミンゲスヒル校
▲無差別級決勝で、メジオ級3位のビル・クーパーを破ったパサディシモ級優勝のジェフ・モンソン
国際ブラジリアン柔術連盟(カーロス・グレイシーJr代表)が開いた初めての第一回ノーギ・ワールド。つまりは道衣を着用しない柔術ルールの世界大会は、大会主催者が提供する黒基調のラッシュガード(各帯の色が肩に入る。黒帯の選手は、黒基調であれば自らのラッシュを使用していい)の着用、ウェイト(道衣とラッシュガード込みなので実際の選手個体の体重は違ってくる)以外、ルール、帯の色&階級など全てが連盟の主催する柔術大会と同じレギュレーションを用いて行われた。
黒帯アブソルート級
優勝 ジェフ・モンソン(米国/アメリカン・トップチーム)
2位 ビル・クーパー(米国/アリアンシ)
ブラジリアン柔術の世界で、真の最強という意味合いもある無差別級の戦い。優勝は、いつの間にかブラジリアン柔術の黒帯になっていた(大会のレギュレーション上、参加選手は道衣有りの帯の色にそったクラスに出場する)ジェフ・モンソンの手中に納まることとなった。
→レーヴィ級を制したジェフ・グローバー
ただし、無差別級を盛り上げたのは、メジオ級で3位に終わった(準優勝のダニエル・モライーに準決勝で、ギロチンで1本負け)ビル・クーパーだった。クーパーといえば、レーヴィ級を制したジェフ・グローバーと並び、パラゴン柔術(ヒカルド・フランジーニャ・ミラー率いるアリアンシ系のアカデミー)で育った動き回る柔術を代表する選手。黒帯になって初めての大会、70kg台のウェイトで見事な戦績を残したといえる。
初戦でベテランのメガトン・ディアスをダース・チョークで破ると、二回戦でも1本勝ちを収めたビルは、準決勝で同大会スペルペサード級2位で、ADCCブラジル予選優勝の実力者クリスチアーノ・ラザリーノ・チチをギロチンからのスイープなどで、4−2で破り決勝進出を果たした。
→初戦であたったメガトン・ディアス(下)をダース・チョークによる一本勝ちのビル
決勝では果敢にテイクダウンを狙うが、そのたびにタックルを切られたビルは、一度テイクダウンを奪われると、その後はディフェンスに徹しきるモンソンの牙城を崩すことが出来ず、そのまま0−2で敗退となった。
→チチ(下)を破り、決勝進出を極めたビル・クーパー
初めてのノーギ世界大会、道衣有りと比べると動きが少ない試合が多かったが、柔術と同じであれば、膠着を誘発する選手に対し、しっかりとウォーニング+ペナルティを取る必要があったであろう。
なおペナ級で初戦敗退に終わった植松は、無差別に果敢にチャレンジしたが、ここでペナ級を制したコブリーニャとの対戦となり、0−9で敗退。
ただし、ライス戦の敗北とは違い、世界最強の男に対し、二つのリバーサル、一つのパスガードを許したものの、ヒザ十字やアキレス腱固めを果敢に仕掛け、常に1本を狙うコブリーニャの動きを阻んだ意義ある敗戦であった。
→植松(右)にチョークを仕掛けるペナ級優勝のコブリーニャ
「負けたけど、試合内容は良かった。そんなことばかり言われているので、来年こそは試合内容を結果に結び付けたい」と語った植松、その言葉に期待したくなる無差別級でのコブリーニャとの対戦だったといえるだろう。
植松を破ったコブリーニャは、2回戦でぺサード級優勝のホベウト・トゥサを相手にバックマウントを奪うなど、会場を大いに沸かせたが、最後は動くだけ動く作戦が裏目に出て、そのバックマウントを前方に落とされると、三角絞めで1本負けを喫してしまった。
→ペナ級優勝のコブリーニャ(上)を三角絞めで下したぺサード級優勝のホベウト・トゥサ
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