
「ムエタイの魅力、語りまくります」の第5回。今回も1989年7月2日に開催された『’89格闘技の祭典』に初来日した伝説のムエタイ戦士「ダイヤモンドの前蹴り」「ムエタイ9冠王」チャモアペットのエピソード。
“ムエタイ7冠王”としてエキシビションマッチで初来日したチャモアペットは、その後もムエタイ界の頂点に君臨し続けた。ベルトを2本追加して“9冠王”となり、当時はムエタイ=チャモアペットくらいの知名度があったはず。K-1のチャンプアやブアカーオなどを除けば、最も来日回数を重ねて日本人ファイターたちと戦った選手ではないだろうか。
エキシビションマッチから約1年後の9月28日、ついにチャモアペットが日本で試合を行う日がやってきた。全日本キックボクシング連盟の日本武道館大会で、当時、全日本のエースだったフェザー級チャンピオンの清水隆広と対戦。当時とすれば日本vsタイの頂上決戦だ。
清水は1989年から頭角を現した選手で、プロボクシング仕込みのパンチと空手仕込みのバックキックを得意とし、全日本フェザー級王座になった辺りから人気が出始めた。人気が低迷していたキックボクシング界に久しぶりに表れた若手ホープで、WKA世界スーパーフェザー級王座も獲得して全日本のエースに君臨したのである。
しかし、その清水をチャモアペットは全く問題にしなかった。清水のパンチや蹴りをことごとくかわし、前蹴りと左ミドルをヒットさせていき、ある程度戦ってからの2R、清水を首相撲に捕えてボディへのヒザ蹴り! これでダウンを奪った。1Rと2R、さらに2Rと3R以降のチャモアペットは明らかに動きが違っていて、2Rのチャモアペットはまさしく“戦う神”に思えたほど強かった。まるで「本気を出せばこんなもんだよ」と言わんばかりに。3R以降は清水がパンチで攻める場面もあったが、チャモアペットが余裕で攻めさせているように見えた。
3度目の来日は清水戦から5年後の1995年1月7日。9冠王となっていたチャモアペットは、初来日した頃とは見違えるほど大人になってたくましくなっていた。ムエタイの頂点に君臨する男としての貫録を身にまとっていたのである。
この時に対戦したのが、清水を破って全日本キックのエースとして君臨し、低迷していたキックボクシング界を再び蘇らせた立役者である立嶋篤史だった。今の若いファンはピンと来ないかもしれないが、当時の立嶋の人気は本当に凄かった。格闘技雑誌の表紙を飾るのはもちろん、地上波のテレビ番組にも出演。NHK教育テレビにも出たほどだ。
その立嶋がムエタイの帝王と対戦するということで大きな話題となり、会場も東京ベイNKホールが用意された。しかし……