
「立嶋篤史、思い出を挙げればキリがない」の第10回目。僕の20年間にわたる記者生活の中で、最も印象深いキックボクサーである立嶋篤史のことを書いていきたい。90年代を疾走した本物のヒーローである。
いきなり本題から話がズレるが、立嶋の復帰戦が決定した。9月20日(日)東京・後楽園ホールで開催される『TITANS
NEOS 6』で、2003年6月8日、IKUSAでの萬田隼人戦以来、約6年ぶりの試合となる。対戦相手は小野智史(伊原道場)に決定した。小野は2008年12月14日にデビューしたばかりで、2勝1敗の選手だ。
68戦を経験している立嶋だが、6年ぶりともなればデビュー戦のようなもの。しかも、肉体や反射神経は若い時と比べれば衰えているだろう。6年前に対戦した萬田はたしか3戦目くらいの選手だったが、圧倒されて立嶋が敗れている。今回の試合について書きたいことは山ほどあるが、それはまた今度。
本題に戻ろう。立嶋の名勝負と言えば、忘れられないのが山崎道明とのフェザー級頂上対決だ。当時、国内にキックボクシングは3団体しかなく、全日本キックとMA日本キックが二大メジャーだった。その2団体の団体を象徴するエース同士の対戦ということで、当時はもの凄いビッグマッチが実現したものだと思った。
山崎は“和製ベニー・ユキーデ”と呼ばれ、パンタロンを履いてファイトスタイルもパンチ主体とバックスピンキックを使うなど、ユキーデを意識したものだった。途中からパンタロンをやめて、そのイメージからは脱却。アグレッシブな戦い方と豪快な左右フックで、新妻聡が現れるまではMAのエースとして君臨した選手である。
フェザー級のチャンピオンとなった後、ライト級に転向して立嶋と戦った時もすでにライト級だったと記憶しているが、まだライト級ではチャンピオンになっていなかったためフェザー級頂上対決と称されたと思う。
この試合の何が凄かったかって、ラウンドが終わる度に大きな拍手と歓声が沸き起こったのである。つまりどのラウンドもスリリングでアグレッシブな攻防となり、ひと時も目が離せない一戦となったのだ。3分5R、その全てでこれほど観客の目を惹き付けて熱狂させた試合は数えるほどしかないだろう。
試合は……