日本サブミッションアーツレスリング連盟
「全日本SAW選手権大会『闘』 兼国際武道柔術アジア・パシフィック選手権タイトルマッチ」
2009年10月18日(日)東京・ゴールドジムサウス東京アネックス
開始10:00
10月18日(日)、東京・ゴールドジムサウス東京アネックスにて『全日本SAW選手権大会『闘』 兼国際武道柔術アジア・パシフィック選手権タイトルマッチ』が行なわれた。
ルーキークラス、全日本選手権、SPクラス(ワンマッチ)、アジア・パシフィック武道柔術タイトルマッチ、SAWチャンピオンタイトルマッチというように、いろいろなルールとレベルが設定された今大会のなか、やはり最も注目を集めたのは、今年で21回目を迎えたSAWの本道ともいうべき無差別の全日本選手権だろう。
各リーグ戦を勝ち抜いた中倉憲一、中倉三四郎、廣井一隆、小西良徳の4名により準決勝、決勝が行なわれた結果、柔道出身の巨漢・廣井が6年ぶり2度目の全日本優勝を飾った。
▼全日本選手権(無差別) 決勝 5分2R
○廣井一隆(SAW関西)
17-3
●中倉三四郎(SAW本部)
柔道ベースの両者による一戦。116kgの廣井、80kgの中倉による肉弾戦は、廣井が内股、抑え込みでポイントを稼ぎ、1Rはポイント8対3で折り返す。2R、さらに首投げからの袈裟固め&アームバーで極めかけるなど優勢に立った廣井が、17対3の大差で優勝。2003年の初優勝以来、6年ぶり2度目の栄冠を手にした。
▼全日本選手権(無差別) 準決勝 5分2R
○廣井一隆(SAW関西)
8-0
●小西良徳(SAW本部)
体重差、なんと51kgの両者による準決勝。序盤、廣井が軽々と内股で一回転させる。抑え込みも追加して1Rに8対0の大差がつくが、2Rに入ると、“小さな巨人”小西が得意の寝技で猛攻開始。ややスタミナ切れした感のある廣井に対し、一度は下から拳を使った突っ込み絞めにより、巨漢の表情を大きく歪ませたものの、タップを取るには至らず。そのまま8対0により廣井が決勝に駒を進めた。
▼全日本選手権(無差別) 準決勝 5分2R
○中倉三四郎(SAW本部)
2R 一本 腕ひしぎ十字固め
●中倉憲一
兄・憲一、弟・三四郎という兄弟対決が実現した準決勝。ともに柔道ベースだが、10歳若い三四郎が果敢に攻めていき、小内刈り、朽木倒しで倒しポイントを稼いでいく。2R、両足タックルでテイクダウンを決めた三四郎は、すかさず腕ひしぎ十字固めでフィニッシュ。弟が兄弟ガチンコ対決を制し、決勝進出を決めた。
▼SAWチャンピオンタイトルマッチ -70kg 3分3R
○小西良徳
2R 一本 腕ひしぎ十字固め
●山口 隆(SAW関西)
※3度目の防衛
-70kg級・初代王者の小西の防衛戦は、体重別3連覇中の山口隆を迎えて行なわれた。序盤は互いにアキレス、ヒールホールドの極め合いで互角の攻防が展開されたが、2R、小西は飛行機投げを決めて抑え込み、腕ひしぎ十字固めでフィニッシュ。王者・小西が3度目の防衛に成功した。
▼SAWチャンピオンタイトルマッチ -80kg 3分3R
○中倉憲一(SAW本部)
5-0
●矢内純一(SAW本部)
※3度目の防衛
-80kg級・初代王者の中倉の防衛戦は、体重別3連覇中の同門・矢内純一を迎えて行なわれた。試合はしばらくスタンドでの投げの打ち合いが続いたが、2R、中倉が払腰から袈裟固めでしっかり抑え込む。矢内も寝技勝負に持ち込むが形をつくれず、ポイント5対0により、王者・中倉が3度目の防衛に成功した。
▼ルーキークラス -68kg 決勝戦 5分1R
○中西圭介(AACC)
1R 一本 アームロック
●工藤一郎(和術慧舟會)
▼ルーキークラス -78kg 決勝戦 5分1R
○馬場広大(大石道場)
4-0
●山崎和也(SAW本部)
▼ルーキークラス +78kg 決勝戦 5分1R
○三四郎(フリー)
1R 一本 腕ひしぎ十字固め
●Grant Maher(AUS)
▼SPクラス ワンマッチ 3分2R
○明妻 健(日本ウェルネススポーツ専門学校)
7-2
●伊藤英夫(STT)
▼SPクラス ワンマッチ 5分2R
○榊原基起(悠心会館)
1R KO
●村井義明(未来格闘塾)
▼アジアパシフィック武道柔術タイトルマッチ 3分2R
○大野将人(悠心会館)
4-0
●ダニエル・ウェールマン(AUS)
▼アジアパシフィック武道柔術タイトルマッチ 3分2R
○岩本壮司(日本ウェルネススポーツ専門学校)
3-2
●ジェームス・ストレイ(AUS)
▼アジアパシフィック武道柔術タイトルマッチ 3分2R
○遠藤 隆(SAW本部)
2-0
●グランツ・マハー(AUS)
SAW麻生代表はこれまで打撃有りの“スポーツ柔術”の大会を日本国内で開いてきたが、この度スポーツ柔術の国際連盟とは別個に“武道柔術”連盟をオーストラリアのアンディー・ディキンソンを会長として設立した。今大会ではオーストラリアから3選手を招き、日本人選手との対抗戦が“アジア・パシフィック武道柔術タイトルマッチ”という形で3試合行なわれた。結果はいずれもポイント差で、日本人選手が勝利した。
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