「スック・ルンピニークリッククライ」
2011年4月16日(土・現地時間)タイ・ルンピニースタジアム
写真:シンラパムエタイ
▼第2試合
○ユースケ・エクシンディコンジム(=大田原友亮/B-FAMILY NEO/UKF日本フライ級王者)106P
TKO 5R
●シーダン・チャントゥンヤーン(タイ)105P
現在、大田原友亮はバンコク郊外のエクシンディコンジムで特訓中。前々回(1月22日)はタイ・ラジャダムナンスタジアムでギャンブラーを味方につけ判定勝利をモノにしたが、3月のパタヤの試合では威勢よく攻めていたものの、蹴りのヒット数で差をつけられ判定負け。タイ各地のスタジアムで勝ったり負けたりを繰り返しながらも、着実に経験を積む日々だ。
今回の相手はルンピニーで3戦目という事だが、地元ウタラディット県では100戦も闘ってきたキャリアを持つシーダン・チャントゥンヤーン(17歳)だ。
大田原友亮は開始早々左ミドルを放ったが、シーダンもこれに負けじとミドル、ロー、前蹴りのオンパレードで返してきた。特にシーダンの前蹴りが絶妙なタイミングで大田原の腰に食い込む。
大田原はなかなか自分の蹴りに繋げずにいたが、3Rに入りセコンドから「ジャブから蹴りにいけ」と指示が飛ぶと距離やタイミングを掴んだのか、得意の左ミドルも次第に出始めた。両者はサウスポー。大田原の奥足から直に飛ぶ左の蹴りが強烈に相手に食い込む。
試合はここまではイーブンと言えたが、若干シーダンの蹴り数が多かった事と、大田原が日本人である事などから、ギャンブルエリアではシーダンの勝利を支持する声が多くなり始めた。ムエタイではリング上の闘いと客席のギャンブルエリアの支持が一致した時、そこで初めて完全に勝つ事が出来る少しややこしい競技だ。
大田原はここからはっきりと相手を上回る優勢を見せられなければ、この試合で勝利する事は難しいだろう。
第4Rに向かう時に、セコンドにその事を告げられると、大田原は気を引き締めた表情を見せ、状況を把握したのか距離を詰めて積極的に左ミドルを蹴り込んだ。ムエタイ選手は、一人ひとりが少年期から途轍もない戦績を経ている。懐も深くガードも堅い。
この“積極的に攻める”事が出来る状況に持っていけるまでが、とても大変なのだ。シーダンも、ここから粘り強かった。大田原が一発蹴りを放つと、必ずミドルを返してくる。
大田原を上回る蹴り数を維持しようと必死だ。両者は蹴っては蹴られて、また蹴ってを繰り返し、ムエタイならではの白熱した攻防を見せた。
4R終了時点のレートは5−1で相手側(シーダン)有利。後がない大田原陣営からは当然「倒しにいけ!!」の声が飛ぶ。ここでも大田原は闇雲にパンチを当てに前に出る事はせずに、左ミドルの蹴り数を増し応戦した。左ミドルはシーダンの腕や脇腹に食い込んで入るものの、ミドルキックでのKO勝ちの確立は稀なものだろう。
この最終ラウンドが始まった時点で、賭け率がさらに15−1まで開いてしまった。もう本当に後がない状況だったが、大田原はシーダンが前蹴りを放ったところを手ですくい上げロープ際に追い返したところで宙に高くジャンプ! 豪快に放った飛び蹴りがシーダンの顎先にバチンとヒット。
シーダンは膝からリングに崩れ落ちた。必死に立ち上がろうとするものの、意識も朦朧状態でマットに崩れ落ちてしまう。レフェリーは試合続行不可能とし、大田原の逆転TKO勝利を宣告した。最終ラウンド中の15−1(相手有利)からの逆転勝利で、会場は異様なざわめきの声が響いた。
なにしろ飛び蹴りでのKO勝利だ。関係者やギャンブラーたちも度肝を抜いた事だろう。大田原は今回のこのTKO勝利で、関係者からも一目置かれる事となったが、本人は冷静で「今日は(日本の)会長(=父:大田原光俊B-FAMILY NEO会長)にものすごく怒られました。負けは仕方ないが一発だけで勝っても仕方ない。試合全体の流れが大事だと言われました」とコメント。
友亮は4月29日の日本での試合が地震の影響で6月19日に延期されたが、同4月29日に初の中国での試合が決まった。
また、「今回のファイトマネー5,000バーツ、KOチップ、観客からのチップ、あわせて20,000バーツ(約60,000円)を日本の被災者へ寄付します。今年のファイトマネーやチップは全部被災者の皆様に役立ててもらいたいので寄付します。僕のファイトマネーでどこまで役に立つかはわかりませんが、父は地震直後、現地に救援物資を持っていく行動に移しています。僕はなかなか帰国できず直接被災地のお手伝いは出来ないので、寄付しか出来ないけど使って下さい」とコメントした。
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