2009年2月1日(日)東京・後楽園ホールで行われるJ-NETWORK主催「GET REAL in
J-WORLD 1ST」でファイヤー原田の復帰戦が決まった。昨年4月にファイヤー高田馬場ジムを設立してからは、会長としてジムの運営に力を注いでいた。リングから離れている間、引退も考えていたというファイヤー。そのファイヤーがなぜ再びリングに上がるのか? 復帰戦を控えたファイヤーの胸中に迫る。
ファイヤー原田(ふぁいやー・はらだ)
1974年8月14日、埼玉県出身
2003年全日本新空手軽中量級王者となり、同年10月にプロデビュー。
その後は所属するJ-NETWORK、R.I.S.E.、全日本キックなど様々な舞台で活躍。
試合に勝った後に見せる勝利のファイヤーダンスは名物となっている。
身長170cm、試合体重60〜61.25kg
ファイヤー高田馬場所属 |
■会長業は忙しいけど、それよりも楽しさが上回る
――ファイヤー選手、お久しぶりです! 約半年ぶりの試合が決まりましたが、今はどんな心境ですか?
「今までずっとハイペースで試合を続けてきて、これだけ長い休みを取ったのは今回が初めてだったんですね。この休みの間に色んなものが見えて、また一からキックを頑張ろうと思うことが出来ました」
――休みを取ろうと思ったのは何か理由があったんですか?
「自分はプロの選手はコンスタントに試合をやってナンボだと思っていて、自分のところに来たオファーは基本的に全て受けてきました。
でもさすがにそれではダメージも溜まってきて、それを回復させたいというものあったし、流れ的にジムを作るという話もあって、それで結果的に休みをもらうことになりましたね」
――ファイヤー選手のジムが出来たのは昨年の4月ですが、どういった経緯でジムを出すことになったんですか?
「試合を見に来てくれて、ずっと応援してくれている方がいるんですが、その人にジムの話を頂きました。最初に話を聞いた時は一昨年の梶原(龍児)戦あたりだったんんですけど、最初は断ったんです。でも試合をずっと続けていくうちに(ジムを)やりたいという気持ちが芽生えて、やらせてもらうことになり、J-NETWORKの一ジムとして立ち上げることになりました」
――ジムの会長を務めるというのはかなり大変なことだと思いますが、実際にやってみていかがでした?
「すごく大変でしたね。僕は基本的には引きこもりの性格なんで、人と会って何かをするだけで、すごく疲れるんです(苦笑)。でも何かしら人と接していると得るものが多くて、やっぱり感動を生むもの瞬間は人と人が接している時じゃないですか。会長業を行うようになってからは、それをより感じることが出来るようになりました」
――ではジムを立ち上げてからはより充実した毎日を送っているんじゃないですか?
「はい! 自分はジムに常駐しているのですが、苦しいことや大変なことはありますけど、それよりも楽しさが上回っていて、本当に幸せですね。すべてが喜びにつながっている気がします」
ファイヤー原田インタビュー内容
■会長業は忙しいけど、それよりも楽しさが上回る
※以下GBR会員の方のみご覧になれます。
■ジムを立ち上げてから、キックを始めた頃の気持ちを思い出した
■「正直、引退も考えた」ファイヤーがカムバックの理由を語る
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