昨年はパンクラスで35歳にして人生初のタイトルマッチを経験し、遅咲きの花を咲かせた滝田J太郎。1年に1〜2試合と超スローペースで試合をこなしてきたが、今年は2月のパンクラスにさっそく出場。いつになく燃えているようだ。滝田といえば楽しい入場パフォーマンスだが、そこには知られざる苦労が…。
滝田J太郎(たきた・じぇいたろう)
1973年2月3日、栃木県那須郡出身
2001年7月、第1回東日本アマ修斗選手権ウェルター級優勝を経て、
2002年3月13日にプロ修斗でデビュー(相手はあの川尻達也)。
修斗とデモリッションで試合経験を積み、
2005年2月からパンクラスに参戦した。
試合時の入場パフォーマンスは名物となっており、
ふんどし姿の通称Jボーイズという集団を引き連れて入場する。
身長170cm、体重68kg
戦績:プロ修斗1勝4敗、デモリッション3勝2敗1分、パンクラス3勝2敗
パンクラス・フェザー級1位
和術慧舟會東京本部所属 |
■入場パフォーマンスをやるのは試合がしょっぱいから
――いきなりですが、滝田選手と言えば入場パフォーマンスで有名です。あれはなぜ始めたんですか?
「あれはサービス精神というか。友だちが試合を見に来てくれるじゃないですか。その時に……まあ、今もそうなんですが試合がしょっぱいので、何か面白いことをやらなきゃいけないなっていうのがあって。そういう強迫観念のようなものがきっかけでした(笑)。せっかく来てもらっているのに多分、試合では沸かせられないから、そういう試合内容の自信のなさからです」
――いつ頃から始めたんですか?
「デモリッションの所英男戦(2002年9月8日)からですね。デモリッションの第1回目だったんですよ。そこから、後にJボーイズと呼ばれるようなヤツらを使ってやるようになりました」
――初代Jボーイズは誰だったんですか?
「誰だったっけかな? 外山(慎平)とかはいたような…。当時の慧舟會の若手たちですね。まあ、今はみんなおっさんになってますけど」
――中村K太郎選手は途中からですか?
「K太郎はまだ慧舟會に入ったか入らないかくらいの時だったと思いますよ」
――Jボーイズはどういう基準で選んだんですか?
「誘いやすいヤツを誘いました(笑)。みんなやりたいみたいですね。“俺も、俺も”みたいな感じでしたよ」
――マジですか? ふんどし一丁の格好でやらされるのに。
「久松(勇二)先生なんか毎回毎回、使ってよって言ってきます。でも、あの人を使うとリスクがあるので、よっぽどのことがない限り使わないですね(笑)。ちなみに、あのふんどしは自分で生地を買ってきて縫うんです。そのためにミシンも買いました。俺の場合、試合感覚が凄く長くて年に1〜2試合しかやらないから、ミシンの使い方をすぐ忘れちゃって、毎回思い出すのが大変なんですよ。そこから始めるので、ふんどしを作るのも大変な苦労があるわけです」
――おおっ、Jボーイズの衣装は滝田選手の手作りだったんですね!
「そうなんです。オートクチュールです。初戦の時は、試合当日に作っていましたからね。俺は昔から結構ギリギリになるまでやらないタイプなので、ふんどしは前日や当日に作ってますね。試合の前って意外とやることがないので全然問題がない」
――ネタ合わせもやるんですか?
「昔は前日にやっていたんですけど、最近はみんな忙しくなってしまったので当日の1時間前にちょこちょこっとやっています。ちゃんとした動きが出来たら面白いんだろうなって思うけど、ほとんど揃ったことがない(笑)。毎回グダグダで。でも、それはそれでいいんじゃないですか。俺の考え自体がキッチリしてないから」
滝田J太郎インタビュー内容
■入場パフォーマンスをやるのは試合がしょっぱいから
※以下GBR会員の方のみご覧になれます。
■笑いも一本も取れる男?とんだ勘違いです
■プロレス雑誌を読みながら酒を飲むのが習慣 |
|
|