石井宏樹、小野寺力をはじめ、延べ60数名に達するチャンピオンを輩出している名門・藤本ジム。その藤本ジムに所属しながら、約14年前にタイでプロデビューしたのが元新日本キックボクシング協会フェザー級4位の中村弘樹さん。現在のように恵まれた環境でない中、敢行した約2年間のタイ修行での苦労話や現役時代、そして仲間たちとの思い出を聞いてみた。
中村弘樹(なかむら・ひろき)
1969年11月24日生、東京都出身
元新日本キックボクシング協会フェザー級4位
170cm、現役時61〜2kg
1995年2月、25歳のときにタイでプロデビュー
2002年に引退
<一部戦績>
■2002年4月21日「新日本キックStand a Chance! 〜有望〜」○【5R判定2−0】風神和昌(野本)
■2000年9月10日「新日本キックTHE STYLISH FORCE」○【TKO 3R1分36秒】マサル(トーエル)
■2000年2月27日「新日本キックトーエル横浜ジム落成記念興行 Fight One」○【5R判定3−0】パティアン・チャイペット(タイ)
現在は千川キックボクシングクラブ(千川)、ひよこキックボクシングクラブ(戸越銀座)で後進の指導に務める
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■タイでプロデビュー。本当は一試合だけのつもりが……
――藤本ジム所属だった中村さんが新日本キックのリングで活躍していたのは何年前のことですか?
「デビューしたのは14年前で、場所はタイでした。日本では6戦4勝2敗、タイでは11戦4勝7敗の戦績でしたね。新日本キックボクシング協会のフェザー級でランキングの最高位は4位でした。当時のチャンピオンには小出智(治政館)がいて、下のランクには今でも現役のマサル(トーエル)がいましたよ」
――なぜデビュー戦がタイだったんですか?
「学生の頃に目黒ジムで練習をやっていて、新空手の大会に2、3回出ました。それから高校を卒業してプロの道に行かずに就職したんですよ。でも会社を辞めて、ふとタイで一試合ぐらいしようかなと思い、タイに行きました。
ゲーオサムリットジムのアナン・チャンティップ会長がプロモーターをやっていて自分に紹介してもらったら、『次の試合はいついつのどこだ』と試合を勝手に決められていったんです。いい人なんですけど、むちゃくちゃな人でしたね(笑)。本当は一試合だけやって旅行をするつもりだったんですけど……。気付いたら10戦ぐらいやって、
"打倒ムエタイ"路線になっていたんです(笑)」
――そんなにタイにいたことで両親は心配していませんでしたか?
「心配していたと思いますけど、あきれていましたね」
――タイではどこで試合したんですか?
「田舎の草試合ですよ(笑)。当時はルンピニー・スタジアムやラジャダムナン・スタジアムなんて簡単には上がれなかったんです。今の若い連中は、簡単にデビュー戦でそういう場所に上がれるじゃないですか(笑)
中村弘樹インタビュー内容
■タイでプロデビュー。本当は一試合だけのつもりが……
※以下GBR会員の方のみご覧になれます。
■「外国人は相手にされない」というタイ修行での苦難をどう切り抜けたのか
■盟友・石井宏樹や小野寺力(現・RIKIX会長)との思い出
■タイトルマッチ直前で引退した理由 |
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