戦国時代に中国地方を治めた名将・毛利元就の末裔、毛利昭彦(毛利元就の九男・毛利秀包の直系の子孫にあたる)。現在は山口にある毛利道場で代表を務め道場生を育てる傍ら、選手としても活躍。5月2日(土)東京・国立代々木競技場第二体育館で開催されたワールドビクトリーロード『戦極〜第八陣〜』では新進気鋭の真騎士と対戦し、反則のサッカーボールキックを食らったことで反則勝ちを収めた。格闘技の頂点を目指すべく、山口から虎視眈々とチャンスを狙う毛利の強さはどこにあるのか。それは、自宅の庭から始めた他流試合にあった。
PROFILE
毛利昭彦(もうり・あきひこ)
1975年3月11日、山口県出身
身長176cm、体重70kg
2000年頃から総合格闘技を始め、地元山口で開催された自主興行Rock Upに出場して経験を積む。
2002年、JTC全日本アマチュア総合格闘技選手権大会67kg以下級では準優勝に輝く。
2003年5月のDEMOLITIONでプロデビュー。
2007年2月、初参戦となったパンクラスでは、コブラ会の宮崎裕治から1ラウンド2分34秒の腕十字でギブアップを奪い勝利。
同年7月にはHERO'Sのオープニングファイトに出場し、U-FILE CHAMPの有村修也と対戦し判定勝利。
2009年5月2日、戦極に初参戦し真騎士から反則勝ち
戦績:7勝5敗1分け
毛利道場所属
毛利道場
〒745−0015 山口県周南市平和通1−16 山本ビル3F п0834−31−1110
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■真騎士戦でドクターストップがかかるも、3日後にはプロレスの試合が!
――まずは昨日の戦極での真騎士選手との試合を振り返ってもらいたいと思います。(インタビューは大会翌日のもの)。パンチをもらった毛利選手がダウンし、真騎士選手が反則の四点ポジションへのサッカーボールキックを打ったことで試合がストップしました。今はどういった気持ちですか?
「すっきりしないですね。悔しいです。あのキックを食らって、頭がパンパンに腫れています。CTUの検査では脳の内部の異常はなかったんですけど、『2日間は様子をみてくれ』とお医者さんから言われました。まぁ大丈夫だとは思いますけど、昨日は頭が痛くて寝られませんでした」
――これから飛行機に乗って帰られるんですか? 高度が高いところに行くと、頭痛が激しくなりそうですけど。
「いや、6日にプロレスの試合があるので、2、3日はこっちで休むつもりです」
――え〜っ!! ドクターストップがかかっているのに3日後にプロレスの試合に出ちゃいますか。かなり危険じゃないですか。
「下北沢タウンホールで行われる『ハードヒット』という大会に出て、飯伏幸太選手(DDTプロレスリング所属)とUWFルールで闘います。メインを任せられているので穴は開けられません」
――それはきついですね……。真騎士戦に話を戻しますけど、結果では反則勝ちとなりました。
「自分の中では真騎士選手のパンチを結構もらっちゃいましたね。でも、最初に自分が腕十字を取ることができたので、結構余裕だなと思う場面があり、気が抜けた部分もあります。そこでパンチをもらったのがダメでした」
――腕十字の極まり具合はどうでしたか?
「結構極まっていたと思いますよ。思ってもいない方向に真騎士選手がくるくると回転していたので逃げられてしまいましたね」
――サッカーボールキックを受ける前のパンチでダウンをしていましたが、あの時のダメージはどうでしょう。
「あれは効きましたけど、倒れたときに真騎士選手に組み付こうと考えてました。下になっても怖くはなかったですから。相手はレスリングの選手なのでタックルでのテイクダウンは厳しいと思うんですけど、下になればスイープとかいこうと思ってましたし。KOされるほどのパンチではありませんでしたね。でも、そのあとのサッカーボールキックで完全に意識が飛びました」
――完全に意識が戻ったのはいつですか?
「すぐには戻ったんですけど、頭がぼっとしていたことと足がふらついていたのでレフェリーに止められました。これからは、いつでも闘えるように1からトレーニングをし直したいですね。正直、今回はトレーニング期間が少なかったんです」
――トレーニングできない何か理由があったんでしょうか?
「ちょうど……
毛利昭彦のインタビュー内容
■真騎士戦でドクターストップがかかるも、3日後にはプロレスの試合が!
※以下GBR会員の方のみご覧になれます。
■「有望な選手が育っている」毛利道場の実態とは。
■格闘技の始まりは、インターネットで対戦相手を募集!!「自宅の庭で……」
■先祖代々で伝わる物をテレビ番組で鑑定してもらったら、驚きの評価額に! |
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