8月23日(日)東京・多摩永山情報教育センター多目的ホールにて開催された株式会社ウィット『山本喧一プロデュース
TFC タイタン・ファイティング・チャンピオンシップ6〜無差別級オープントーナメント〜』で見事に優勝を果たした阿部佑一郎(パラエストラ小岩)。金的、頭突き、ヒジありの最も過激なルールに挑戦した理由は何だったのだろうか。
阿部佑一郎(あべ・ゆういちろう)
年齢:28歳、身長:181cm、体重:82kg、出身地:千葉
競技歴:2006年DEEPフューチャーキングトーナメント・ミドル級(82kg)準優勝
得意技:バウンド、スタイル:オーソドックス
格闘ベース:総合格闘技、空手
所属:パラエストラ小岩 |
■普段はビル空調の正社員「体重を上げようにも、減ってしまいました」
――優勝おめでとうございます! なぜ、タイタンファイトの無差別級トーナメントに出場しようと思ったんでしょうか?
「自分は元々、プロデューサーを務める山本喧一さんの試合に影響を受けて、総合をやり始めるようになったんです。当時、山本さんは過激なルールをやっていたので、やっぱりオレもこのリングに上がらないといけないなと感じました。
自分は9年前は格闘技をやっていなかったんですけど、大会も9年ぶりに復帰したので、出場を熱望したところ合格通知が来たので『よしっ!』と思いましたね」
――具体的に山本選手のどの試合が印象深かったですか?
「UFCやムエタイの試合、海外でやっていた総合の試合とか色々ありますね」
――大会に向けてはどういった準備をしてきたんでしょうか?
「普段どおりの練習をしてきました。自分はアルバイトじゃなく正社員で仕事をしているので仕事量を減らすことは出来ません。睡眠時間を削るしかなく、実際に4時間ぐらいしか寝てない毎日でした。必ず朝は走って、妥協することなくやり続けました」
――普段はどういった仕事をされているんですか?
「ビルの空調関係です。この時期は忙しくて、本当にきつです。ずっと屋上にいるので、40度以上の暑さになるんです。体重を上げて出ようと思ったんですけど、上げられませんでした。とりあえず、プロフィールには82kgと書いたんですけど、実際には78kgだと思います(苦笑)」
――会社の方は応援に来られたんですか?
「今日は仕事なので多分来てないです。ジムの仲間と高校時代の野球部の友達が来てます。あとは、元々自分は自衛隊をやっていたんですけど、その時の先輩も来てました。ちなみに自衛隊時代に山本さんの試合を見て総合をやりたくなり、自衛隊を辞めたんです」
――えっ! 仕事も辞めるなんて凄いことですよね。
「そうです。もうこれ総合をやるしかないなと思ったんです。自衛隊には4年間いて、レンジャー部隊にもいました。辞めるときは、なかなか辞めさせてくれませんでしたね。自衛隊では徒手格闘技で日本拳法をやるんですけど、僕は防具をつけるのが凄く嫌なんです。ずっとそれにこだわっていて、空手をやっていました。周りからは『空手より日本拳法の方が強い』と言われてました。今日の1回戦で日本拳法の斉藤徹選手と対戦しましたけど、嬉しかったですね。斉藤選手に勝ちたいというよりも、日本拳法には絶対に負けたくないという思いがありました。勝てて良かったです。自衛隊の先輩にも『オレのやってきたことが間違っていなかった』と証明できました」
■優勝賞金で両親に旅行をプレゼント。「残りはサプリメントなど自分のために使いたい(笑)」
――頭突き、金的ありといった過激なルールの大会ですが、意識してましたか?
「頭には全部入れて練習してました」
――準決勝でSEIKEN選手の金的攻撃を受けて痛そうな表情を浮かべた場面がありましたよね?
「あれは全然もらってないんですよ。わざとちょっと痛がっていたら相手がどういう反応するのかなと思ったんです。相手はレスラーなので倒しにくると思っていたので、それに合わせて上のポジションを取りに行きました。あそこでパウンドで仕留めたかったんですけど、内側に巻き取られてポジションを返されてしまいました」
――これまでにプロで試合の経験はあるんですよね?
「あります。DEEPフューチャーキングトーナメントに出たり、デモリッション。そして地方でやっている格闘武道会ではタイタンファイトよりも過激なルールでやってました。総合を習う前に空手をずっとやっていたこともあり、試合で緊張するというのはなかったです。最近は大会で負けていたのでオファーがありませんでした。それで今回これに懸けていた部分がありました」
――決勝戦での西田操一戦ではどういった作戦で行こうと思われましたか?
「相手はステップを踏んでいなく、スタミナは自分の方が全然あると思ったので間合いをしっかり掴んでました。西田選手は元々空手家なので接近戦ははまずいなと。70kgぐらいの体重差もあるので危険ですよね。
ワンツースリーフォーを打ったら、アウトステップでローを入れるのが作戦でした。もし組んだ場合は一本とか取られる心配はなかったです。最後はたまたま上になったので、残り10秒と聞こえたところで『ここでやらないときついかな』と思い、無酸素状態で殴り続けてタップを奪いました」
――次回11月大会も決まりましたけど、参戦予定はありますか?
「仕事の都合があるので何とも言えないですけど、もっともっと練習しないと強くなれないと思います。このルールに沿った練習をもっとやっていきたいですね。今回は勉強になりました」
――優勝賞金が80万円ということですが、何に使いますか?
「親に迷惑ばかりかけているので、旅行をプレゼントしたいですね。格闘技をやることにも反対され、自衛隊やレンジャー部隊にいた時も反対されていました。両親は僕が言うことを効かないと思って諦めていたはずです。あとは自分のために、サプリメントや練習着などを自分のために使いたいですね(笑)」
――今後ファイターとしてはどういった活動を考えてますか?
「自分は出場する団体は決まっていません。団体側からお話をもらえれば何でもチャンスだと思いますので、仕事の都合があえば出てみたいですね。練習はいつもやっているので、出場する準備は出来ています!」
――トーナメント歴代出場者には所英男選手とかいますけど、そういった選手のようになり上がりは意識しますか?
「意識しますね。やっぱりみんなは大きな舞台に上がる夢を見てやってると思うんです。チャンスを一つ一つ潰さずに、妥協せずに練習していき、物にしていけばいいかなと思っています」
(2009年8月23日、「TFC タイタン・ファイティング・チャンピオンシップ5」終了後にて収録)
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