9月4日(金)東京・後楽園ホールで開催されるシュートボクシング(以下、SB)『武志道-bushido-其の四』にて、ムエタイ戦士との4度目の対戦が決定した石川。過去、ムエタイ戦士を絞め落とし、身体を浴びせ倒してKO勝ちするなどSBらしい技で葬ってきた。“SBを最も体現する男”はどのようにして今のスタイルに辿り着いたのか。
石川剛司(いしかわ・たけし)
1974年2月10日、新潟県出身
身長170cm
アマチュア大会で2度の優勝を経て、
2003年9月23日、初回KO勝ちでプロデビュー
2005年9月25日、竹村健二に敗れて10戦目にして初黒星
荒々しい打撃に加えて投げ、立ち関節技を得意として“SBを最も体現する男”と呼ばれる
SB日本スーパーフェザー級1位
戦績:20勝(9KO)6敗1無効試合
シーザージム所属 |
■SBを始める前は完全にアウトローでした(笑)
ーー石川選手がSBを始めたきっかけは?
「東京に来てた仲間からチケットをもらって、後楽園ホールへ見に行ったのがきっかけです。その時のメインは土井(広之)さんで、セミが緒形さんの復帰戦でしたね。緒形さんの試合を見て"これだな"と思いました」
ーーそれまで何かスポーツをやったことはありましたか?
「田舎にいる頃、小学校で相撲をやっていました。県大会で優勝しています」
ーー相撲ということは、太っていたんですか?
「いや、細かったし、小さかったんですよ。投げとかの技で勝ち上がっていったんです」
ーーじゃあ、舞の海の再来くらいに言われたんじゃないですか?
「いやぁ(笑)。その頃はまだ舞の海が出てきていなかったと思いますよ」
ーーしかし、なぜ相撲を?
「小さい頃はワンパクだったので、そのワンパクな子供がみんな相撲部に入れられたんですよ。それで勝ち上がったというか」
ーースポーツ歴がそれだけということは、中学・高校は帰宅部だったんですか?
「そうですね」
ーーその頃は相当なアウトサイダーの道を進んだのでは?
「完全にアウトローでしたね(笑)。バイクを乗り回したり、喧嘩は日常茶飯事で。ウチの中学校が県内で一番悪いと言われていた地区にあったので、スラム街みたいなところでした」
ーー高校ではどうだったんですか?
「自分は今年の甲子園で決勝戦まで行った日本文理だったんですが、1年ですぐに辞めてしまいました。楽しいことが多すぎて、学校じゃないなと(笑)」
ーー東京へ出てこられたのはいつ頃?
「25歳くらいの頃でしたね。田舎にいてもやり尽くした感があって、面白くないので東京に仲間もいたから出てきました。その仲間が不動産関係の仕事をしていて、そいつからたまたまチケットをもらったんです」
ーーではSBを始めたのは相当遅かったんですね。
「デビューしたのが25〜26歳でしたからね。でも、10代の頃に始めていたとしても多分、辞めてしまっていたと思うので、自分の中ではいい年だったと思っていますよ」
ーーSBを始めてみてどう思いましたか?
「すぐチャンピオンになれるだろうと思って始めたんですが、そんなに甘い世界ではなかったです」
ーーいきなり運動を始めてスタミナはどうだったんですか?
「全くなかったですね(笑)。それこそ、ジムのリング内でミットをやっていたら戻しそうになって、会長から"リングの上で戻すんじゃない!"と怒られたこともありました」
ーー最初からプロになると決めて始めたんですか?
「いえ、最初は思っていなかったですね。まぐれでアマチュア大会で優勝しちゃって、その時に会長からプロでやってみないかと言われたんですけれど、"多分まぐれだと思うので、もう1回優勝できたらやらせてください"と頼んだんです。そうしたらまた優勝しちゃって(笑)」
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