今年1月、大番狂わせと言われた勝利で裕樹を破り、RISEの60kg級チャンピオンになった板橋。その後、2度の防衛戦を行い、1年でタイトルマッチを3度も経験して負けなし。しかも、喫した2敗はいずれも末広智明につけられたもので、末広にリベンジ後は驚異の9連勝をマーク中だ。活況を呈する60kg級戦線の中心に躍り出た、高速レフティが次ぎに狙う獲物とは……?
板橋寛(いたばし・かん)
1982年9月1日、福島県出身
身長167cm
2005年3月20日、全日本キックボクシング連盟でデビュー
2006年6月25日、R.I.S.E. FLASH to CRUSH TOURNAMENT’07第3位
2009年1月31日、裕樹を破り第2代R.I.S.E.60kg級王座に就く
同年7月26日、TURBOを判定で下して初防衛に成功
同年11月22日、尾崎圭司を2RKOで下して2度目の防衛に成功
戦績:15勝(2KO)2敗2分
スクランブル渋谷所属 |
■プロデビュー戦は半ば強制的に組まれました
ーー2009年を振り返っていただいて、どんな年でしたか?
「今年は全勝でしたし、タイトルも獲れたので出来過ぎの年でした。1月のタイトルマッチは正直、獲れるとはあまり思っていなかったんです。試合は無心でやるだけなので、結果には自分でもビックリしました。周りもビックリしたと思います。ああいう倒し方とか」
ーー「地味なチャンピオンですけれど」発言から始まって、最後にはKO勝ちで有終の美を飾りましたよね。
「今年は本当に良かったですね。でも、これからも地味でいいかなって思っています(笑)。別に大きいことも言えないし、リングの上で魅せていければいいです」
ーー逆に“地味ツヨ”をウリにしていく感じですか?
「そうですね(笑)。その方がラクなので、それでいいです。実力を付けていければ」
ーー2009年で最も印象に残っている試合はどの試合ですか?
「やはり裕樹選手とのタイトルマッチ(1月31日)ですね。あんなに根性のある選手は初めてでした。やってる最中に“もう終わりだろう”と思っていたんですけれど、何回も立って来て。ちょっと嫌でしたね。もう1回やっても勝てる自信はありますけれど、そういう意味でも印象に残っている試合です」
ーー板橋選手はなぜキックボクシングを始められたんですか?
「高校の時にボクシングを始めて、専門学校でキックボクシング部に入っていたんです。元々、別のジムに入門したんですが、そこは週2回くらいしか練習が出来ない状態だったので、キックボクシング部の先生に相談したところ内田会長とお知り合いだったので紹介していただき、スクランブル渋谷に練習に来るようになりました。その後、RISEでKAWASAKI選手とやるちょっと前くらいに、正式に移籍したんです」
ーー専門学校にキックボクシング部があったんですか? 珍しいですね。
「そうなんですよ。RISEのアマチュア大会KAMINARIMONとかに出ていたりしました」
ーー最初からプロ志望だったんですか?
「そうです。でも、プロデビュー戦は半ば強制的に組まれたような感じで。卒業旅行に行っている時、“試合が決まったから”と連絡があって“えっ、聞いてないよ〜”と。卒業旅行なのに凄く落ち込みましたね(笑)。もうビックリしちゃって、食べ物も食べられなくなってしまいました。それが始まりですかね」
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