加藤督朗というよりは、元のリングネームであるスネーク加藤の方が一般的であるPHOENIXジムの加藤会長。現役時代は強面のヒールキャラだったが、実はおちゃらけるのが大好きという一面を持ち、ジム内には笑いが絶えないという。そんな加藤会長にPHOENIXとしての1年を振り返ってもらった。そして、スーパールーキー梅野源治についても語る。
加藤督朗(かとう・まさあき)
1978年9月28日、東京都出身
身長184cm
1994年6月、15歳で士道館に入門
1995年4月、高校生の時に屋台村ヨンドンでプロデビュー
1997年6月、リングネームをスネーク加藤に改名
1999年6月18日、MA日本キックボクシング連盟ライト級王座に就く
2000年11月、山木ジムに移籍
2001年7月、WMTAサウスパシフィックムエタイスーパーライト級王座に就く
2004年4月27日、WPMF世界ウェルター級王座を獲得、同年7月にはルンピニースタジアム認定ウェルター級1位にランクイン
2004年11月28日の試合を最後に現役を引退
生涯戦績:19勝(14KO)7敗4分
現PHOENIXジム会長 |
■PHOENIXファンキーガッツメンの秘密
ーー2009年のPHOENIXの活動を振り返ってみて、どんな1年でしたか?
「ウチはみんな楽しくやるっていうのがメインなので、みんな楽しく出来たと思います。選手の方は梅野(源治)以外はそんなに育ってないんですけれど、2軍・3軍がちょこちょこ頑張っていたので全体的にいい年だったなと思いますね」
ーーその梅野選手ですが、山木ジム一門から高い評価を得ていますね。あのワンダーマン室戸の再来だ、とか。
「いやぁ、あいつはヤバイですね。“天才”ですよ! ただ最近はキックのレベルが上がっているじゃないですか。選手自体のレベルも上がって底辺も広くなっている。本当に運動神経のいいセンスのある人たちがいっぱい出て来ているから、その中に入ってしまうとそこまで飛び抜けてはいないのかなって最近は思います。でも、彼は人の何倍も努力が出来るんです。ある程度凄いセンスを持っていて、努力が人の何倍も出来れば、絶対に成功するなって。凄くいい選手に育ってきているし、もう楽しみでしょうがないですね」
ーーその天才ぶりは、山木ジム一門に例えると誰が近いですか?
「一番近いのは山口元気さんですね。そこまで巧くはないんですけれど、勝手にそう思っています(笑)。反応とかそういうものに関しては近いんじゃないかな。技の精密度は全然違うというかまだまだなんですけれど、目の良さとかそういうのは似ている部分がありますね」
ーー1月23日の『REBELS』では初めてタイ人と対戦しますね。
「多分、大丈夫だと思います。いつもタイ人のトレーナーとスパーリングをやっているので、あんまりタイ人に対しての恐怖心がそんなにないんじゃないかな。何の心配もせず、普通にやっていれば大丈夫だと思いますね」
ーーいまPHOENIXにはプロ選手は何人いるんですか?
「実質稼動しているのは5人くらいしかいないですね」
ーーアマチュア大会にはかなりの人数を出していますよね。
「そこそこいますね。でも、プロを目指しているって人はあまりいなくて。みんな、せっかくキックボクシングをやっているんだから試合に出てみようよ、みたいなノリです。そういう感じで楽しく出ていますね。それは別に悪いことではなく、むしろいいことだと思っています。普通だったら出ないような人たちが、みんな頑張ってキックボクシングを好きになって出ているんですから。その中から何人かがプロを目指して頑張っている、という感じですね」
ーーアマチュア大会に出る時はPHOENIXファンキーガッツメンというチーム名で出ていますよね。あれはどういう意味で?
「意味合い的にはチームドラゴンとドラゴン道場みたいな(笑)。PHOENIXはメインの強い人たちで、キミたちはまだPHOENIXを名乗れないくらいのレベルだよっていうのはファンキーガッツメン。チームドラゴンの真似をしてみました」
ーーいいネーミングですよね。1回聞いたら忘れられません。
「そうでしょう? もう忘れられないという。この恥ずかしい名前を乗り切って、PHOENIXを名乗ってくれよと。でもたまに、申し込む時にファンキーガッツメンを書かないで出るヤツがいるので、そういうヤツには厳重注意を与えます(笑)。お前はいつからそんなに強くなったんだと、ビシッと言ってやりますよ」
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