2008年1月30日、パンクラスでWINDY智美の蹴りを腹部に受け、長期欠場に追い込まれていた富松恵美(パラエストラ松戸)。しかし、昨年11月のグラップリングトーナメント、今年11月の柔術トーナメントで優勝し完全復活を果たした。今後、総合復活はあるのか。寝技で頭角を現した彼女を直撃した。
PROFILE
富松恵美(とみまつ・えみ)
1982年4月13日、神奈川県川崎市出身
身長156cm、体重50kg
2001年7月22日、吉本女子プロレスJd'後楽園ホール大会でプロレスデビュー。
2003年4月13日、後楽園ホール大会で引退セレモニー。
2006年7月23日、スマックガール「グラップリング・クイーン・トーナメント」ではライト級決勝で藤井惠に敗れ準優勝
2008年1月30日、パンクラスに初参戦。WINDY智美の蹴りを腹部に受けTKO負け。
2008年11月2日、LUTADOR主催の女子グラップリングトーナメントに出場し優勝。
2009年11月29日、ブラジリアン柔術の大会「東京国際オープントーナメント」女子青・紫帯プルーマ級で優勝、紫帯に昇格した。
所属:パラエストラ松戸
総合戦績:5戦3勝2敗
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■女子プロレスラー入門のきっかけ
――元々女子プロレスラーだったんですよね。どうして女子プロレスをやろうと思ったんですか?
「本当は雑誌の編集の仕事をやりたくて大学に進学しようと思ったんですけど、金銭的に親に迷惑がかかるなと考えました。そういったときにサムライTVを見ていたら、吉本女子プロレスオーディションという企画でジャガー(横田)さんが出ていたんです。それに応募したのがきっかけです。大オーディションと謳っていて、会場に行ってみたら私を入れて2人だけでした・・・…」
――その結果、合格してしまったと。
「受講者の2人だけで腕立てとかをやって合格しました」
――それまでに何かスポーツはやられていたんですか?
「陶芸とか…。精神面を鍛えてました(笑)」
――プロレスのオーディションに合格したということは相当な数の腕立てをこなしたんですよね。どうやって鍛えていたんですか?
「よく覚えてないんですけど、高校生のときにプロテインを飲んでいた記憶はあります」
――デビュー戦までにどのくらいかかりましたか?
「四カ月ぐらいです」
――両親の反対はありませんでしたか? プロレスというと危険なイメージがあると思います。
「特にはありませんでした。親も女子プロレスが好きなんです」
――珍しい家族ですね(笑)。ちなみに憧れの女子プロレスラーはいましたか?
「いないです。私は修斗のおっかけをしていたので、本当は総合をやりたかったんです。それで某ジムに行っていたんですけど、そこにはまだ女子の選手がいなかったので、だったら女子プロレスの方がいいのかなと思いました」
――女子プロレスのリングでは何戦ぐらいやられたんですか?
「え〜っ、全然覚えてないですね。腫瘍の病気で3回ぐらい手術していて3回欠場しているんです。復活しては休んで、復活しては休んでという繰り返しだったので。もうその病気は大丈夫なんですけどね」
――引退試合はやられたんですか?
「引退セレモニーという形で後楽園ホールでやりました。それも自分の誕生日だったんですよ。デビュー戦も後楽園ホールでした。デビューも引退も“プロレスの聖地”でやれるなんて贅沢な話ですけど、試合自体は一回しか勝利してないですね」
――女子プロレスでやってきたことが、今やられている柔術やグラップリングで活かされていることはありますか?
「あんまりないんですけど、たまにスパーリングのときにスクールボーイ(相手の股下に腕を入れて、後方に転がして丸め込むプロレス技)を出せます。実戦で試したい気持ちはあるんですけど…
富松恵美インタビュー内容
■女子プロレスラー入門のきっかけ
※以下GBR会員の方のみご覧になれます。
■プロレスを引退したら肥満児に!その時の写真を見た友人の反応が・・・
■WINDY戦で入院。総合の復帰戦はいつ?
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