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 8月23日(日)東京・後楽園ホールで開催される『DEEP 43 IMPACT』にて、ベルナール・アッカ(フリー)と約5年ぶりに総合格闘技の試合を行うことが決定した元パンクラスの柳澤。K-1、リングスにも参戦し、エメリヤーエンコ・ヒョードル、ランディ・クートゥアー、ミルコ・クロコップ、セーム・シュルトらそうそうたる面子と対戦してきた柳澤は、なぜこれほどのブランクが空いてしまったのか?

柳澤龍志(やなぎさわ・りゅうし)
1972年6月22日、青森県青森市出身
身長190cm、体重100kg
高校時代はボート部に所属し、インターハイ出場
1991年に藤原組入門、翌年4月19日にプロデビュー
船木誠勝らと行動を共にして藤原組離脱後、
1993年9月21日のパンクラス旗揚げ戦に参戦
同年11月27日には全日本キックに参戦し、後のプロボクシング
WBC世界ヘビー級王者ビタリー・クリチコとキックルールで対戦
1993年と1994年にはグローブ空手の全日本大会、
トーワ杯カラテ・ジャパンオープンに出場してベスト8進出
大型ファイターのため未来のエースとして期待されたが、
2000年6月に退団し、前田憲作らとチームドラゴンを結成
リングス、K-1、新日本プロレスなどのリングに上がる
所属:フリー

■実は僕、“闘う専門学校生”なんです

ーー総合格闘技の試合は2004年11月7日、パンクラスでの野地竜太戦(判定3−0で敗れる)以来になりますが、ブランクは心配ではないですか?

「正直、厳しいかもしれないですね。美濃輪(ミノワマン=パンクラス時代の後輩にあたる)のセコンドに就く度に、一緒に練習して追い込んでやっていたつもりなんですが、試合となるとまた違いますから。ただ、試合が決まったら練習の意識が違いますし、環境も変わったので。今までは指導をしながらという形でしたが、今は練習だけなので少し落ち着いて出来ているような気がします。

 実際リングに上がってみて、勘がどれくらい戻っているものなのかという不安はあります。どうでしょう? こればかりはやってみないと分からないですね」

ーーこれだけのブランクが空いてしまったのはなぜなんですか?

「引退してからのことも考えて、専門学校に通っていたんです。三分割の生活をしようと。学校へ行って、自分の練習をして、指導してと。

  そういう生活をやっていたんですが、その間に試合が入れられなかったんですよね。意外にきつくて(笑)。試合をするファイターと学生と指導者と、普通に練習する自分という4つの顔を持つことが出来ませんでした。全部をなかなかこなすことが出来なくて、試合間隔が空いてしまいました」

ーー何を目指して専門学校に通われたんですか?

「新日本プロレスの三沢トレーナーのようになりたくなったのと、自分の生徒を教えていたのもあったので怪我をした時に応急処置が出来ることなどを目的として、柔道整復師の免許を取ろうと思ったんです。今年3年生で来年卒業なんですが、来年の3月3日に国家試験です。今回は指導という顔がひとつ減った(指導していた坂口道場の狛江道場が6月いっぱいで閉鎖となった)ので、試合という頭が出てきたということですね」

ーー引退するつもりはなかったんですか?

「それは全然なかったです。引退説が流れていましたが(笑)。試合もオファーがあれば考えようと思っていましたからね。

 意外と学校(週5日)がきついんですよ。僕は18歳で東京へ出てきてプロレスラーになった時、今後一切、勉強はしないと決めていたんです(笑)。自分の体で食っていこう、と。でも35歳を過ぎた辺りから、そうもいかないなって思いました。道場も始まったし、午前中だけなら学校に行ってみようかなって最初は軽い気持ちで行ったんですが、もの凄く難しかったという。

 それでも自分は負けず嫌いなので、周りの人たちにナメられたくないし、プロレスラーってバカだなって思われるのが嫌なので、凄く集中して勉強しました。2年生の時は生徒が50何人いるんですが、成績はその内の8番目になったんです。それで次の年の授業料が20万円免除になって、それが嬉しくてしょうがなかったんですが、その次の月に道場がなくなることを聞いて(笑)。これはえらいことになったと。

 でも、試合も決まったのでこれから集中して、学生兼ファイターとしてやっていこうと思います。夏休みもありますし(笑)。やっぱり3つの顔は難しいですね。四足三足のわらじを履くのは。まあ、プロレスの方もまだまだやりたいですし、格闘家もやりたい。K-1での試合は寝技を封印された状態で闘っていましたから、僕にとってある意味試練だったんですけれど、今度は総合ということで前からやっていたものですしね。

 ただ今の総合って、昔のパンクラスとは違うじゃないですか。新しいスタイルなのでまた新しいチャレンジになりますが、それもまた自分の中でどれだけ出来るのか楽しみです。頑張ってやっていきます」

■ナンバーワンを目指すというより、自分の色を出した試合がしたい

ーー柳澤選手はプロレスラーという立ち位置のようですが、プロレスラーが総合格闘技をやる意味をどう考えていますか?

「元々、僕はプロレスラーになりたくてこの業界に入ったんですが、(パンクラスに)入ってみたらやっていたことが今で言う総合格闘技だったという感じで。だから純プロレスをやったことがなかったんです。それで純プロレスをやってみたくて新日本プロレスに参戦しました。

 でも、プロレスって一体何なんだろうなっていうのは正直分からなかった。それなのにプロレスラーという名前を背負ってK-1や総合格闘技に挑戦していくのはどうなんだろうってことも思いましたけれど、やっぱり自分はプロレスラーとしてデビューしましたし、プロレスラーとして認知もされていると思うので、その中で総合格闘技に挑戦して行くのは自分のひとつの個性だと思っています。

 プロレスもやれと言われればけっこう出来ますからね。僕は3年間くらいやりましたから。僕がプロレスラーと名乗っても、新日本の選手たちは文句を言わないと思います。きっちり巡業もやりましたからね。あいつはプロレスラーじゃない、とは誰も言わないと思います。元々、育った場所が総合の畑だったというだけで。

 総合と言っても本当に初期の初期で、まだオープンハンド(掌底)でパウンドもないような、レガースを着けての総合ですけれど。でも今は練習もオープンフィンガーグローブを着けてパウンドありで練習していますから、対応できるとは思います。とにかく面白い試合をしたいですね。年齢的なことを言っても、ここからナンバーワンを目指すというより、自分の色を出した試合が出来たらな、と思っています」

ーー現在チームドラゴンの龍道場で練習しているとのことですが、柳澤選手はチームドラゴンの立ち上げメンバーですけれど、離れていた間も親交があったんですか?

「よく知っていますね(笑)。もちろんありました。元々、前田憲作さんとは仲良しですし、嬉しいことにチームドラゴンで現在活躍しているメンバーがいるじゃないですか。あの人たちが僕のことを直接は知らないはずなのに、立ち上げメンバーだということを知っているみたいで“柳澤さん”と言ってくれるんです。それは凄く嬉しい。

 道場に行くと、現在K-1ヘビー級チャンピオンの京太郎選手がミットを持ってくれたりします。凄く良くしてもらっていますね。龍道場は一番行きやすい道場というか、僕にとっては行くと初心に帰れる落ち着ける道場なんです。凄くみんな練習しますし、刺激になります」

(2009年7月22日、DEEP OFFICIAL GYM IMPACT 囲み取材にて収録)


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