約10年前に全日本キックのリングで活躍していた吉田善之さん。キックを始めた当初は習志野ジムで人気絶頂期の立嶋篤史と、藤原ジム移籍後はジムの初プロ選手として小林聡氏(元全日本キックGM)と共に練習をしてきた。現在は新宿で服飾店「よしだ商店」を経営、当時の懐かしい思い出を振り返ってもらった。
PROFILE
吉田善之(よしだ・よしゆき)
身長170cm、体重67kg
1974年2月4日生、東京都出身
プロ戦績11戦4勝4敗3分
現在は、服飾店「よしだ商店(東京都新宿区西新宿1−2−6)」を経営
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■立嶋篤史がセコンドに「試合で勝っても負けた気がした」
――元々キックボクシングをやられていたんですよね? それは何年前のことですか?
「最後にプロのリングで試合をやったのはちょうど10年前のことです」
――所属ジムはどちらだったんですか?
「最初は習志野ジムにいて、次に藤原ジムに移籍して2つのジムを合わせると7年ぐらいやっていました」
――プロでは何戦やられたんですか?
「7戦ぐらいやりましたね。僕が全日本キックのリングでデビューした頃はちょうど立嶋(篤史)選手が全盛期の頃でした。立嶋選手が佐藤(孝也)に勝って次に延藤(直樹)とやる絶頂の時でしたよ」
――プロの時はどういった選手と闘ったんですか?
「3戦目で小野瀬邦英選手とやって判定で負けました」
――習志野ジムにいた時は、立嶋選手とよく練習していたんですか?
「そうですね。1995年ぐらいに全日本キックの興行が仙台であって、僕の試合が組まれました。東京から仙台まで遠いので誰もセコンドで来てくれない中、延藤戦を1カ月前に控えた立嶋さんだけ来てくれたんです。
僕が入場するときには、観客のみんなは立嶋さんのことだけ注目しているんですよ。『うぉー立嶋だ!』とか言って。試合始まっても、『うぉーっ、立嶋がいる〜!』という声が僕の耳に入ってくるんです(笑)。そういう環境の中で試合をやったのはいい思い出ですよ。そして立嶋さんがセコンドについてくれたことがちょうどいいプレッシャーになって勝つことが出来ました。
退場のときも、僕よりも立嶋さんに人気ありましたね(笑)。『うぉーっ、立嶋が帰るぞ!』って(笑)。一つのキック時代を作ってくれた人と一緒にいられたことは貴重な経験でした。でも、試合に出ながら、人としての格の違いを感じさせられ、試合では勝ちましたけど、何か立嶋さんに負けたような感じでした。立嶋さんはその時のことを覚えているかわかりませんけど……」
――立嶋選手は来月20日後楽園ホールでの「TITANS」で6年ぶりの復帰戦を行います。まだ現役でやられていることに関してどう思いますか?
「いや〜、物凄く自分が現役だった頃のことを思い出しますね。1カ月前から減量して、試合のことを考えながら生活するというモチベーションを維持できるというのは凄いことだと思います。
6年間のブランクがある上に、ジムを作って生徒さんもいる。息子さんもいて、昔とはまた違った状況だと思うんですよ。色んな意味で見応えのある試合だと思います。ぜひ会場に行って応援します」
吉田善之インタビュー内容
■立嶋篤史がセコンドに「試合で勝っても負けた気がした」
※以下GBR会員の方のみご覧になれます。
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