5月30日(日)東京・JCBホールで開催されるサステイン『The Way of SHOOTO 03〜Like a Tiger,Like a Dragon』で、元・世界フェザー級チャンピオンの松根良太(パラエストラ松戸)と対戦するルミナ。昨年10月のバリジャパで約2年ぶりの勝利をTKOで飾り、「This is Rumina!」と復活の雄叫びを上げたが、今回の相手は元世界王者の強敵だ。その闘いを前に「今まで通りではなく、今の俺が出来る闘いを初めてやってみようと思っている」と宣言。その真意とは?(2010年5月21日UP)
PROFILE
佐藤ルミナ(さとう・るみな)
1973年12月29日、神奈川県小田原市出身
日本体育大学でレスリングを始めるが、
短期間で退部して木口道場に入門
全日本アマチュア修斗選手権で準優勝し、
1994年11月7日、マイケル・マコラフ戦でプロデビュー
一つの引き分けを挟んでデビューから11連勝を飾る
1994年1月18日、ヒカルド・ボテーリョを破りブラジリアン柔術黒帯から日本人初の一本勝ちを飾る
1997年11月29日、前年のバーリトゥードジャパンで押され気味のドローに終わったジョン・ルイスから一本勝ち
1999年1月15日、飛びつき腕十字で当時の最短一本勝ち記録“6秒”を樹立
同年5月29日、世界ウェルター級王座決定戦で宇野薫に敗れタイトル獲得に失敗
2000年4月15日、ハワイのSuperBrawlでイーブス・エドワーズにわずか18秒で一本勝ち
2000年12月17日、宇野の持つタイトルに挑戦したがKO負けで王座獲得ならず
2001年12月16日、五味隆典との世界ウェルター級王座決定戦に敗れる
2005年3月11日、環太平洋ライト級王者決定トーナメントを制し、初代王座に就く(返上)
2009年2月11日、シュートボクシングに初参戦してTKO勝ち
同年5月10日、リオン武の世界ライト級王座に挑戦するもTKO負け
同年10月30日、コーリー・グラントにTKO勝ちで約2年ぶりの勝利を飾る
身長167cm、体重
修斗戦績:22勝(3KO・16S)13敗1分
プロ修斗/roots所属 |
■この歳で続けていくためにはある程度、スタイルを変えないと
ーー公開練習ではRIKIX小野寺力会長とのミットトレーニングを披露しましたが、RIKIXには今もずっと通われているんですか?
「はい。ずっと行ってます。今はわりと寝技よりも打撃の方に力を入れていますね。寝技も柔術をちょこちょことやって、今までにない動きを取り入れようとしています」
ーー今、打撃は何が得意ですか?
「試合前なのに言うとまずいじゃないですか(笑)。パンチにしろ蹴りにしろ、打撃全般が前よりもひとまわり強くなっていると思います」
ーー対戦カードが発表された時、「いま出来る年齢相応の試合を見せたい。今まで通りではなく、今の俺が出来る闘いを初めてやってみようと思っている。新しい僕を見に来てください」と言われましたね。そういう考えになったのはなぜ?
「練習でも若い頃のような動きが出来なくなってきているので、必然的にそうしないとマズイな、闘っていけないなというのがありました」
ーーなぜ、いまこの時期なのでしょう? もっと前から考えていてもおかしくないですよね。
「最近はそうやろうと思って練習もしていたんですが、試合では出せずにいたというか。でも、前回もちょっとは変えて闘っていたんですよ。たまたま1Rにパンチが当たって勝っちゃったというだけで、3Rやっていたらまた違った闘いを見せられたかもしれません。今まではただ見せられなかっただけです」
ーー今回、宣言したのはもう見せられる自信がついたから?
「リオンとやった時(2009年5月10日)はあまりいい闘いが出来なかったというのがあったんですが、前回辺りから考えながら新しい闘い方が出来始めたかな、という感じなんです。今回はそれをよりグレードアップさせた年相応の闘いをやってみたいな、と思いました。とりあえず疲れないで闘いたい、と。スタミナをロスしないで闘うやり方をしてみたい。その辺はマモルとかリオンが凄く上手いので、見習ってやりたいと思っています」
ーースタミナよりも頭を使う、と?
「スタミナの使い方、力の出し方ですね。例えば、自分のガソリンタンクに100リッター入っているとしたら、それをどう使っていくかです。今までは1Rに90リッターくらいドーンと使って、残りがなくなってガス欠になってしまうパターンだったので、上手く1Rに33.3リッターずつ使うとか。その中でもアクセルを踏む時はしっかり踏んで、というような感じで行きたいと思っています」
ーー先ほどマモル選手とリオン選手の名前が出ましたが、他競技の年齢がいった選手の闘い方を参考にしているというのはありますか?
「それは特にないですね。マモルもリオンも俺より若いですけれど、若い時からそういう闘い方をしているじゃないですか。ああいう闘い方をしたら俺も疲れないんじゃないかって思ったんですよ」
|