5月30日(日)東京・新宿FACEにて開催されるJ-NETWORK『J-GIRLS
Catch The stone〜8』のJ-GIRLSフェザー級王座決定トーナメント準決勝で真(峯心会)と対戦する桜朋梨恵。4月のJ-GIRLS初参戦では優勝候補といわれた成沢紀予を下す実力を見せ付けた。“美人キックボクサー”として注目を集める桜朋が目指すものはベルトの他に目指すものとは。(2010年5月29日UP)
PROFILE
桜朋梨恵(おおとも・りえ)
1980年9月26日、埼玉県出身
身長161cm、体重57kg
2004年12月19日、女子興行「ANGEL'S」第1戦の長島かよこ戦でプロデビュー。
2005年3月27日、せり戦で初勝利。この試合からリングネームを本名から桜朋梨恵に改名。
2006年6月25日、「ANGEL'S 6th」の小八ヶ代真紀戦で判定負け。所属していた伊原道場を離れフリーとなる。
2009年12月12日、「リアルディール」新宿FACE大会で村上リエに0-3の判定負け。
2010年4月18日、「J-GIRLS」に初参戦し、延長の末に成沢紀予を判定で下した。
所属:チーム・ティーラ
戦績:10戦5勝4敗1分
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■あの瞬間、魔裟斗選手の入場を見ていなかったら格闘技とは無縁だった
――まずは、キックを始めたきっかけから教えて下さい。
「元々は格闘技歴が全くありませんでした。23歳のときに、たまたま家でテレビをつけたらK-1MAXが放送されていて、ちょうど魔裟斗選手の入場シーンでした。観ていたら星がパラパラと降ってくるような衝撃を受けましたね。格闘技に対して無知だった自分に、興味を持たせた魔裟斗選手のオーラが凄いなと思い、格闘技の世界に飛び込むことを決めました」
――魔裟斗選手の活躍を見て憧れる男子格闘家は多いのですが、女子格闘家では珍しいですね。
「あの入場シーンをあの瞬間見ていなかったら、私の周りには格闘家はいなかったので、生涯格闘技とは縁がなかったように思います」
――今、格闘技をやっていなかったら何をやっていたと思います?
「全く違うスポーツをやっていたり、人に何かを伝える場所にいたと思います。私は小さい頃からずっとメディアの世界に出たいと思っていました。テレビにとにかく出たかったんです。でも、格闘技と出会う前の自分には特技がありませんでした。テレビに出ても何も伝えられない人間になるなと思っていました。何か1つ、何かの分野で、『プロとして自分がここにいるんだぞ』と証明できる立場にいたいと感じていました」
――ディズニーランドで勤務していた時期があるんですよね?
「そうですね。親からは『大学に進学しなさい』と言われていたのですが、私は家系からずれてしまい、高校卒業したらすぐにディズニーランドで働きました」
――ディズニーランドではどういうことをやっていたのですか?
「コンフェクショナリーというお菓子売り場にいました。白いブラウスにリボンという格好をしながら『こんにちわ〜』と、いかにも“ディズニー”と思われるような場所で接客をしていました」
――どうしてディズニーでのお仕事は辞められたんですか?
「しゃべりすぎてホリープが出来てしまい、声が出なくなったんです。それでたまたま火傷で通っていた病院の院長さんが『沈黙療法でやらないと治らないから』と言われ、運よくそこで正社員として働くようになりました。でも、私は夢を追いかける夢人間なので、メディアの世界に行きたいという思いを捨て切れませんでした」
――今は受付のお仕事をされているんですよね。
「過去、ランジェリーメーカー、ゲーム業界、金融、本社で就業させて頂きました。現在は、お菓子メーカーの本社(受付)に勤務しています」
――キックの練習や試合で顔アザや傷が出来ると思います。受付といえば、会社の顔ですよね。仕事に影響はないのですか?
「ケガしても、前髪のアレンジや化粧で隠せるんです。ビジネスマナーのぎりぎりのラインでやっています。アザだったらファンデーションとコンシーラーで隠しています」
――隠せるものなんですね。それは驚きました。
「以前、就業させていただいていた企業先では、表に立てないほどのケガをしてしまったことがあります。本社の方に謝罪したところ……
桜朋梨恵インタビュー内容
■あの瞬間、魔裟斗選手の入場を見ていなかったら格闘技とは無縁だった
※以下GBR会員の方のみご覧になれます。
■チーム名のチーム・ティーラ、そしてリングネームの意味
■中学生の時に見た教科書に影響を受けて…今考えていること
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