11月14日(日)東京・ディファ有明で行われるM-1MC『M-1 FAIRTEX SINGHA BEERムエタイチャレンジ NAI KANOMTOMvol.4』のM-1スーパーフライ級タイトルマッチで、王者・関正隆(昌平校)に挑戦するTO-MA。この試合からリングネームを「闘魔」に改め、J-NETWORKスーパーフライ級タイトルに続いて2本目のベルトを狙う。わずか8戦目で王座を獲得した闘魔とは一体何者!? (2010年11月12日up)
PROFILE 闘魔(とうま)
1987年11月3日、東京都出身
身長171cm
2009年4月26日、R.I.S.E.大森大会の吉野幸喜戦でプロデビュー
2009年9月27日、J-NETWORK新宿FACE大会でアウトサイダー常連選手の内藤裕からKO勝ち
2010年6月20日、J-NETWORKで山野寛之から判定勝利し、J-NETWORKスーパーフライ級次期王座挑戦権を獲得
2010年8月22日、J-NETWORKスーパーフライ級タイトルマッチで王者ウエンツ修一を破り、新王者になった。
戦績:8戦5勝(1KO)2敗1分
新宿レフティージム所属 |
■プロを目指したサッカー少年からキックボクサーへ転向した理由
――リングネームのTO-MAにはどういう意味があるんですか?
「本名が當麻正惟(とうま・ただよし)なので苗字から取りました。正惟はダサいなと思って止めました(笑)。自分でリングネームを決めたんですけど、(新宿レフティージム・浜川憲一)会長は『センスねぇな』と言ってました(笑)。でも今回からリングネーム表記が“闘魔”になったんです」
――えっ、そうなんですか! それは知りませんでした。
「何となくですけど、漢字にしたらみんなが覚えやすいかなと思いました。TO-MAのようにハイフンが入っていたらアホみたいじゃないですか。自分で決めたんですけど、『会長はセンスねぇな』(2回目)と言ってました」
――リングネームに悪魔の“魔”を使うあたり、昔は暴走族に入っていたんですか?
「そんな過去はないっすよ。よく聞かれますけど(笑)。悪いことはちょいちょいしていましたが、普通の人よりは少し悪いことをしたぐらいです」
――キックを始めたきっかけは何でしたか?
「先輩の金澤元気選手がスポーツジムのバイトで一緒でした。自分が大学3年のときに紹介で今のジムに入りました。それまではずっとサッカーをやっていてプロを目指していたんですけど、まあ色々あって辞めましたね。先輩とかの関係がうざく、監督との関係も悪かったんです。監督はあんまり試合で自分を使ってくれることもなかったので、サッカーはもういいかなと」
――キックの方はプロでやると思っていましたか?
「思っていませんでした。自分がキックをやり始めた頃は、K-1の魔裟斗選手が注目を集めていて、自分もやればモテそうだなと思いました。アマチュア何戦かしたらずっと勝っていて『俺って天才だな』と思ったんです。そうしたら先輩が『プロでやりなよ』と声をかけてくれて、プロデビューしたら即効ハイキックでKO負けしました(笑)。2戦目も負けてしまい、痛いしもう辞めようと思ってたんですよ。でも負けたままで終わるのはダサいなと。それで凄く練習していたら勝つようになりました(現在引き分けを挟んで6戦負けなし)」
――最初の欲望にあったモテるという目標は達成できましたか?
「……
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