大みそか『Dynamite!!〜勇気のチカラ2010〜』で所英男と対戦し、惜しくも敗れてしまった渡辺一久。MMA(総合)ルールに初挑戦し、所の怒涛の攻めを食らうも、次々に回避しこの日一番と言ってもいい盛り上がりを見せた。ボクシングからK-1に転向するも5戦して勝利したのは1戦のみ。しかし、K-1だけでなく総合でも今後の可能性を見せた渡辺を、試合数日後に直撃した。(2011年1月15日UP)
PROFILE
渡辺一久(わたなべ・かずひさ)
1983年5月18日、山梨県出身
2002年11月20日、プロボクシングデビュー
2006年1月21日、ボクシング日本フェザー級王者決定戦でKO勝ちしタイトル奪取に成功。
2008年2月11日、自身のブログにて引退宣言
2009年2月23日、K-1 WORLD MAXでK-1デビュー戦。上松大輔と対戦し判定負け
2009年7月13日、K-1 WORLD MAXで山本篤と対戦し、1R3度のダウンを奪い2分40秒KO勝ち
身長170cm、試合体重70kg
戦績:K-1 1勝4敗
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■渡辺一久が所英男戦で勝つために必死になった理由
――昨日まで実家の山梨に帰られていたそうですね。(インタビューは1月10日に収録)
「そうですね。実家で2泊ぐらいしたんですけど、大みそかの試合を見ていた親戚は『頑張ったね』と言ってくれました。身内が言うことなんて、結局は身内なんで、あんまり勝ち負けのことは気にしていないんですよ。『ケガがなくて良かったね』とか、そういうレベルですから。でも、オレの勝ち負けにこだわっている友達には、会えなかったです。みんな、結局はオレが勝つとこを見たいんですよ。地元に戻っても、恥ずかしいから外には出歩かないようにしていました」
――試合後に送られてくる友人からのメールでの反応はどうでしたか?
「オレに気を遣っていたのかもしれませんが、勝敗に関しては何も言ってなかったですね。友達はオレのやってきた過程を知っているわけですよ。自分の友達が試合で負けると悔しいじゃないですか。自分が応援しているやつは強いと思って応援するわけだし、周りに自慢したいんです。“強い渡辺一久”を自慢したいわけだけど、オレは結果を残していないので友達は相当悔しいと思いますよ」
――先日の所英男戦を振り返ってもらいたいと思います。5戦経験しているK-1MAX参戦時よりも、入場、試合と気合いの入り方が違っているように見えました。
「オレにとって今回の総合ルールというのは知らない世界だったし、(ボクシングから転向した)K-1MAXのデビュー戦(2009年2月23日)で上松(大輔)君とやった時と同じ気持ちでした。色々考えても無駄だから、試合ではとにかく自分の持っているものでやってやろうという感じでしたね」
――そのK-1MAXデビュー戦ではトリッキーな攻撃を見せるなどオチャラケる部分がありましたが、今回は気持ちを前面に出すような表情のままでした。
「そうですね。K-1MAXでオチャラケてましたけど、ああやって自分をコントロールしていたんです。あれも自分の戦い方の1つであり、決して演じていたわけではありません。今回は総合だからと言っても、寝技の展開に行ってオチャラケる場面なんてないですから。オレはお客さんに喜んでもらいたくて、ああいうことをやっているわけではありません。オチャラケたことをすれば、相手も動揺するわけじゃないですか。あれも作戦の1つなんですよ」
――そうだったんですね。試合では、所選手の関節技を1つ凌ぐにしても凄い表情で次々に回避していましたよね。
「とりあえず、相手の力には自分の力でカバー出来るんじゃないかというのを感じていたので、最後まであきらめないで回避していきました」
――腕十字、スリーパーなど何度も極められ、危ない場面もありました。
「ありましたね〜。オレの気持ちの中では『絶対に(一本)獲られない、落ちない』というのを自分に言い聞かせていました。必死でした。最後にやられた腕十字にしても、腕の一本でもくれてやるという気持ちでした」
――試合前に流れた煽り映像では、真面目な所選手は嫌いなタイプということでした。真面目とは反対のイメージを持つ渡辺選手としては、そういうタイプに負けられないという意地もあったんですか?
「所選手と自分の生き方とは全く違う感じがするじゃないですか。別にあの人が嫌いというわけではないんです。というよりも……
渡辺一久インタビュー内容
■渡辺一久が所英男戦で勝つために必死になった理由
※以下GBR会員の方のみご覧になれます。
■渡辺の今後……総合2戦目はあるのか!? それともK-1ルールにこだわる?
■Krush観戦で見えた渡辺の改善点。相手に「打ち合え!」という前に…
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