4月17日(日)東京・後楽園ホールで行われる『TITANS NEOS IX』にて松崎公則(STRUGGLE/WPMF日本スーパーフライ級3位)と対戦する日本フライ級王者・江幡睦(伊原道場)。その睦の弟・塁は3月に暫定バンタム級王者となり、新日本キックのリングで揃って無敗のままチャンピオンの座についた。江幡兄弟の強さの秘密に迫る。(2011年4月16日UP)
PROFILE
江幡 睦(えばた・むつき)
1991年1月10日、茨城県出身
身長165cm、体重51kg
2007年9月16日、新日本キック「TITANS NEOS II」で弟・塁と共にプロデビュー。
2008年3月2日、K-1トライアウト2008を受験し、弟・塁と共に合格。
2010年3月7日、日本フライ級タイトルマッチで王者越川大樹を判定で下し新王者に
2010年12月30日、戦極 Soul of Fightで藤原あらしと対戦し、判定負けを喫した
伊原道場所属
PROFILE
江幡 塁(えばた・るい)
1991年1月10日、茨城県出身
身長165cm、体重53kg
2007年9月16日、新日本キック「TITANS NEOS II」で兄・睦と共にプロデビュー。
2008年3月2日、K-1トライアウト2008を受験し、兄・睦と共に合格。
2010年12月18日、新日本キックで行われた日本バンタム級王座次期挑戦者決定戦でベニー・ユキヒデからKO勝ちしタイトル挑戦権を獲得
2011年3月26日、新日本キック
「MAGNUM-25」で王者・木暮智と対戦予定だったが、木暮がケガで欠場のために、暫定バンタム級王者となった。
伊原道場所属
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■双子ならではのエピソード。二人同時に失神!?
――双子ということもあり、やはりそっくりですね(笑)。二人の見分け方から教えて下さい。
塁「右ほっぺにホクロがあるところですね」
睦「塁がバンタム級で、僕がフライ級なので体重が軽そうな方が僕です。見分け方はそれぐらいしかないです(笑)」
――キックボクシングを始めたきっかけは何だったのですか?
塁「元々格闘技が好きだったので、空手を小学4年生から睦と一緒に始めました。中学1年生までやっていたんですけど、空手の稽古は週3しかありませんでした。それでは物足りなかったので、キックも始めたらキックの方が楽しくなったのでそのままキックに集中しました」
――何かをやり始めるとしたら、お互いやることは常に一緒でしたか?
塁「そうですね。中学校の部活でも一緒にサッカーをやっていました」
睦「科は違いましたけど、高校も同じ工業高校に通いました」
――双子でよく聞くエピソードなのですが、一人が風邪を引くともう一人も風邪をひくといいますよね。そういう双子特有のものはありますか?
睦「よく聞かれますけど、それはないんですよね。交互に風邪をひくぐらいです(笑)」
塁「あ〜でも、二人同時に失神したことがありますよ。中学1年生のときに、空手の師範の葬式があって二人で出ていたときに、睦がフラフラと倒れたんですよ。母親がすぐに受け止めて、横を見たら僕も倒れていたそうです(笑)。どうやら同じタイミングで失神していたみたいです」
――それは凄いですね。勉強の方はどちらが優秀ですか?
塁「僕の方がちょっと出来ます(笑)。やっぱり……あんまり変わらないですね。家庭教師が同じ先生だったので、得意な教科が一緒だったし、苦手な教科も一緒になりました」
睦「僕は覚えるだけの理科と社会が好きでした」
塁「数学が苦手で応用問題ができないんです。国語も嫌いでしたね」
――好きな異性のタイプはどうですか?
睦「それはあんまり被らないんですよ。好きなタイプを聞かれても、僕はあんまりよくわかりません」
塁「今はやっているギャルとか、あんまり激しい感じの女性は苦手ですね。怖いんです。大人しい感じの女性が好きです」
――アマチュアの試合やテストとかで入れ替わったことはありませんか?
睦「それは一回もないですね」
塁「入れ替わりはないのですが、空手のトーナメントの試合のときには、必ず審判から止められていました。『あれ? オマエさっき出たばかりだろ? 何で続けて出てるんだよ』と言われ……
江幡睦&塁インタビュー内容
■双子ならではのエピソード。二人同時に失神!?
※以下GBR会員の方のみご覧になれます。
■ゆるい攻撃なし!一発一発の破壊力のあるファイトスタイルが生まれた理由
■二人揃って狙うは藤原あらしの首! その理由とは!?
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