「立嶋篤史、思い出を挙げればキリがない」の第2回目。僕の20年間にわたる記者生活の中で、最も印象深いキックボクサーである立嶋篤史のことを書いていきたい。90年代を疾走した本物のヒーローである。
本文とは直接関係ないが、彼はいま船橋でASSHI-PROJECTというジムを経営しており、ちょうどこのコラムを始めた時くらいからゴールドジム成田でもクラスを開設したという。昔活躍した選手が元気でやっている、そんな知らせを聞くとボクは嬉しくなる。
さて、前回の続き。ボクの記憶の中にある最も古い立嶋の試合、須藤信充戦の話だ。当時、全日本キックは後楽園ホールで『ヤングファイト』という新人を対象にした大会を定期的に開催していた。メインイベントに5回戦が1〜2試合組まれることもあったが、ほとんどがヤングなキックボクサーのための試合であったため、有名選手はおらず当然ガラガラ。照明も今の後楽園ホールのように明るいものではなく、最低限の照明だけを使った(今はどうか知らないが、当時は照明の数でホールの値段が変わったのだ)状態で、薄暗いものだった。
多分、それよりも前に3回戦時代の立嶋の試合は見ているはずなのだが、なぜか記憶に無い。それほど熱心に見ていなかったからかもしれない。当時はとにかく3回戦の試合が多く(5回戦も多かったが)集中力が続かなかったからかも。
立嶋と須藤の試合は5回戦昇格を懸けた試合で、これが2度目の対決。1度目は須藤が勝っていた。メインに起用されたのはそれだけこの二人がホープとして期待されていたからであろう。しかし、決着はあっ気なかった。序盤に立嶋のヒザが須藤のボディに突き刺さり、須藤がうずくまっての秒殺KO勝ち。これほど鮮やかなKOは初めて見たので“スゲェな”と思った。