「極真空手、思い出を挙げればキリがない」の第50回目なのだが、ちょうど極真会館(松井章圭館長)の『第42回オープントーナメント全日本空手道選手権大会』があったので、今回はその話を。
なんと言っても衝撃的だったのは、全日本大会史上初の外国人チャンピオンが誕生したことだ。ロシアのタリエル・ニコラシビリに本戦で旗が4本上がった瞬間、思わず「あああぁぁぁ〜っ!」と声が洩れてしまった。ハワード・コリンズ(第4回全日本準優勝)もギャリー・オニール(第28&29回全日本準優勝)も、“欧州最強の男”と呼ばれたミッシェル・ウェーデル(第18回全日本、4回戦で反則負け)でさえも手が届かなかった全日本王座。それを19歳の新鋭ロシア人選手が手にした。
第38回全日本で2〜4位を外国人選手が占めて以来、第40回、第41回(第39回は全世界大会と兼ねているため除外)と続けざまに外国人選手が決勝戦へ進出し、全日本王座を脅かしてきた。毎年のように「今年は危ない」と言われ続けてきたが、今回ついにそれが現実のものとなったのだ。
1990年に開催された第22回全日本にロシア人選手が大挙参加し、話題を呼んだことがあった。ペレストロイカの波に乗って、ロシア人選手が大会に出られるようになったため、という理由だったと記憶している。詳しく聞いたことがないので全て本当なのかどうかは分からないが、ソビエト時代は空手が国家で禁止されており、空手愛好家たちは地下でひっそりと空手の稽古を積んでいた、なんていうロマン溢れるエピソードを故・大山倍達総裁から聞いたことがある。(※1990年に初のソ連選手権が開催されたという)
その大山総裁が第24回全日本当時、今から18年も前に…