毎月GBRが取材した大会の中で、最優秀選手を決める月間MVP。2011年10月のMVPは、10月2日(日)東京・後楽園ホールで行われた新日本キックボクシング協会主催「MAGNUM−27』」でムエタイ最高峰の王座を奪取した石井宏樹に決定!(2011年11月4日UP)
PROFILE
石井宏樹(いしい・ひろき)
1979年1月16日、東京都目黒区出身
身長176cm、体重68kg
1996年1月28日、新日本キックボクシング協会でプロデビュー
2000年1月23日、同協会のライト級王座を獲得。タイトルを返上するまで7年間・8度の防衛に成功する
また2008年には各団体の王者クラスが参戦したワンデイトーナメント「KING OF KINGS TOUITSU 」で優勝を果たす
2011年10月2日、「MAGNUM27」でラジャダムナンスタジアム認定スーパーライト級王座決定戦に挑み、アピサックK.T.ジムに勝利し、通算4度目の挑戦でタイトルを獲得する
戦績:76戦54勝(26KO)12敗10分
藤本ジム所属
|
選考理由
1、「ムエタイの世界最高峰タイトルであるラジャダムナン王座を獲得」
2、「タイ人以外が王者になったのは500年の歴史上5人目」
3、「日本人としては武田幸三以来10年ぶりの快挙」
受賞された石井選手には、ゴールドジムより以下の賞品(プロテタイトカルシウム 1個、マルチビタミン&ミネラル 1個、アルティメットリカバリー ブラックマカ&テストフェン+α 240粒 1個)と、GBRより記念の盾が贈られます。
贈呈:ゴールドジム
MVP記念インタビュー
「ムエタイ王者までの苦悩と栄冠」
■病院のベッドの上で「これが潮時なのかな」と考えていた
世界と名の付くムエタイの世界タイトルは数多くあるが、その中でも最高峰だと誰もが認めるタイトルは、タイにあるムエタイの2大殿堂ルンピニースタジアムとラジャダムナンスタジアムが認定する王座だ。タイトルに挑戦するどころかランキングに入ることすら難しいこの頂に、多くの外国人選手が挑み、敗れていった。
タイ人以外で2大殿堂のベルトを巻いたのは、ムエタイ500年の歴史の中でもたったの5人。藤原敏男、小笠原仁、武田幸三、ムラッド・サリ(フランス)、そして石井だけだ(※サリのみルンピニー王座で他はラジャダムナン王座)。日本人では2000年1月21日に武田が獲得して以来、10年ぶりとなる快挙である。
「夢のようです。実感がいまだに湧きません」とタイトル奪取の喜びを語る石井。それもそのはず、これまで2005年の初挑戦を皮切りに3度タイトルマッチのチャンスが与えられながら、いずれも王座獲得に失敗しているからだ。
「3度目の時も最後のチャンスだと思っていたので、今回こそ本当に最後のチャンス、絶対に逃したくないという気持ちでした。大きな怪我もあったし、正直、怪我で入院した時はこれで復帰していいのかとベッドの上でいろいろ考えていたんです。そういうことあって立ち直ったので、3回目よりも懸けるものは強かったですね」と、これまでよりもさらに強い意気込みで挑んだことを明かす。
石井の言う大きな怪我とは、2010年7月25日、後楽園ホールで行ったバーカーオ(タイ)戦で相手のヒザ蹴りをボディに突き刺され、内臓(小腸)破裂に追い込まれたことだ。石井はKO負けを喫し、試合後に緊急入院し手術をした。その手術の傷あとは今も生々しく石井の腹に残っている。
「病院のベッドの上で、ずっと先のことを考えていました。これが潮時なのかなって。正直、意識が戻った時はまた復帰してやろうという気持ちにはなれませんでした。試合に負けた悔しさは残っていましたし、なんで俺はこんな所で引っ繰り返っているんだって悔しさもありました。“さあ、これからだ”って時に。
バーカーオにしっかりと勝って、次はタイトルマッチという流れだったんですけれど、大舞台を用意してもらった矢先にそんなことになってしまって。裏切ってしまったという気持ちも強かったですし、いろいろ考えましたね。ベッドの上で天井を見ながら、本当なら次の試合へ向けて気合いを入れ直している時期なのにな……と思いながら」
手術後の経過もよく、8月2日には退院することが出来た。しかし、運動はしてはいけないと告げられ、長い休養期間が待っていた。
「仕事もしていなかったし、ぼさっとしていた時期が1カ月から1カ月半くらいありました。とりあえず1回キックを忘れてみようという気持ちにもなりましたし、何も考えずにボサッと過ごしてみようかなと。そうしたら何か生まれてくるものがあるのかなと思いながら、しばらく何も考えずにボサッとしていましたね。
その時期もいろいろ考えましたよ。でも、食事も取れたし私生活では何でも出来たんですが、1カ月半もぼさっとすることってなかなかないじゃないですか。毎日忙しい時は次の休みの日は何をしようと考えて遊びに行ったりしましたが、退院後は本当に何もしなかったです。遊びに行くテンションにもならなかったので」
■悪夢からの復帰、そして目指すは前人未到の初防衛
そんな無気力状態に陥っていた石井を救ったのは、やはり15歳で始めたキックボクシングだった。
「少しずつ運動が出来るようになって、もう1回キックをやりたいと思ってからは、充実感が全然違いました。やっぱり、キックは自分の人生だなって実感しましたね。キックって試合という目標に向かって行ってそこで勝てば、自分へのご褒美じゃないですけれど、練習や減量が苦しかった分、いろんな楽しいことがあるんです。試合に勝ったら遊びに行ったり、美味いものを食べたり……っていうメリハリのある人生を過ごしてきたので、それが急になくなってしまうと、何て面白くない日々なんだろうって思いましたね。時間だけはあるから何でも出来る時期だったんですけれど、メリハリがない日々は面白くなかったです」
ドクターからランニングくらいならやってもいいですよと言われて、汗をかく気持ちよさがそこで改めて分かりました。爽快だなって。そこからですね。久しぶりにジムに行って仲間や会長の顔を見たらホッとしましたし、自分の居場所を再確認できたというのがありますね」
しかし、復帰への道のりはラクではなかった。1カ月半、何もしなかった肉体はなまりきっていたのだ。
「筋肉量が減って、体重が減ってしまいました。だから最初は体力づくりからスタートしましたね。怪我をする前よりも筋力トレーニングを増やしたので、身体つきは変わったなと思います。半年くらい経ってから変わってきました。パワーもついた感覚があります」
悪夢のバーカーオ戦から8カ月後、石井は再びリングに立った。それからタイ人を相手に3連勝を飾り、アピサック・K.T.ジムを破って、4度目の挑戦にしてラジャダムナンスタジアム認定スーパーライト級王座を獲得した。
大怪我から復帰し、悲願のラジャダムナン王座奪取の快挙達成。普通なら手放しで大喜びするところだが、石井は喜びに浸っている暇はないと言う。
「タイトルを獲得するだけでなく、防衛に成功してこそ真のチャンピオンだと教えられて育ってきました。これで満足することなく、防衛戦に向かって精進していきたいです」
ムエタイ500年の歴史上、タイ人以外で2大殿堂のチャンピオンになったのは石井を含めて5人。しかし、過去の4人はいずれも初防衛戦で敗れてベルトを失っている。石井は前人未到のラジャダムナン王座防衛へ向けて、すでに歩み始めている。
関連リンク
・ゴールドジム Web site
・石井宏樹選手プロフィール 選手名鑑
・試合レポート「史上4人目の快挙!石井宏樹がムエタイ最高峰のタイトルを奪取」
|