毎月GBRが取材した大会の中で、最優秀選手を決める月間MVP。2012年5月のMVPは、5月26日(土)・27日(日)大阪府立体育会館にて行われた新極真会
『第29回オープントーナメント全日本ウエイト制空手道選手権大会』で、他流派にして軽量級を制し、ワールドカップ出場権を手にした福地勇人に決定!(2012年6月6日UP)
PROFILE 福地勇人(ふくち・ゆうと)
1993年10月7日、東京都出身
身長175cm、体重67kg
小学校1年生から空手を始め、
淑徳巣鴨空手道部を経て白蓮会館総本部内弟子になる
2010・2011年白蓮会館全日本空手道選選手権大会軽量級2連覇
2012年新極真会全日本ウエイト制空手道選手権大会軽量級優勝
白蓮会館総本部所属
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選考理由
1、「新極真会全日本ウエイト制空手道選手権大会軽量級にて、2回戦・準決勝・決勝で技ありを奪って優勝」
2、「白蓮会館で初の新極真王者となった」
3、「まだ18歳と若く、来年のカラテワールドカップでも活躍が期待される」
選考委員
Fight&Life、ゴング格闘技、YAMATOの各格闘技雑誌の編集長とGBRの全スタッフ
受賞された福地選手には、ゴールドジムより以下の賞品(プロテタイトカルシウム 1個、マルチビタミン&ミネラル 1個、アルティメットリカバリー ブラックマカ&テストフェン+α 240粒 1個)と、GBRより記念の盾が贈られます。
贈呈:ゴールドジム
MVP記念インタビュー
「ワールドカップでは流派は関係なく、
日本代表として優勝を狙いに行きます」
■高校卒業後はK-1への出場を夢見ていた
新極真会の全日本ウエイト制大会の軽量級の決勝戦に白蓮会館の選手が駒を進めた。打倒・極真を掲げて大山倍達総裁存命時から挑戦を続けてきた白蓮会館、1992年には南豪宏が、97年には播戸一幸がそれぞれ別の階級で決勝戦まで駒を進めるも、判定で惜敗している。あれから15年、白蓮会館としては3人目の選手が決勝に挑んだ。今年高校を卒業したばかり、まだ18歳の福地勇人である。
福地は、2回戦と準決勝で技ありを奪って決勝まで勝ち上がってきた。福地の決勝の相手は第4回全世界王者で新極真会代表である緑健児の長男・強志。試合は、ステップを使って大きく回り込む福地を緑が追っていく展開となり、本戦は引き分けで延長戦へ。突きの連打で前へ出る緑に福地の左上段膝蹴りが炸裂し、これが技ありとなる。そして、直後に試合終了を告げる太鼓の音が鳴り響き、福地が初優勝、同時に白蓮会館の悲願が達成された。
「他流派の代表として出る気持ちで、そろそろ王座を獲らないといけないだろうと思って大会に臨みました。
過去に白蓮の先輩方が準優勝で涙を呑んでいたので、自分がやってやるという意気込みでしたし、周りの皆さんからも“獲ってくれ”と言われました。その期待に応えることが出来て嬉しいです」
→FIGHT & LIFE2010年2月号に掲載された淑徳巣鴨高校空手部時代の福地
福地は小学校1年生からフルコンタクト空手を始め、強豪として名高い淑徳巣鴨空手道部ではキャプテンを務めた。高校生ながら、一般の大人が出場する白蓮会館の全日本軽量級で2連覇を果たし、高校卒業後はK-1への出場を夢見ていたが、国内ではK-1が活動を休止してしまったため、「これからどうしようか……」と悩んだ。
「昨年の9月に正道会館の全日本大会に出て負けてしまったんです。その前に出た新極真会の全日本ウエイト制大会でも負けていたので、このままでは悔しいなと思いました。
これはリベンジしないとあかんやろ、空手を続けないとあかんやろと思ったんです」
その時にちょうど白蓮会館から誘いの声がかかり、福地は入門を決めた。
「最初は新極真会に入ろうかなとも思ったんですが、自分には他流派で新極真会の王座を獲りたいという夢があったんです。元々、白蓮の人たちとは交流があって、みんな心が温かい人ばかりで好きだったんですね。それで白蓮に入門することにしました」
白蓮初の新極真会王者になるという目標へ向かって、福地は内弟子になって稽古を積んだ。
「強化したのはスタミナです。自分は足(ステップワーク)を使って動くんですが、スタミナを使うので強化しました。ミットで30秒間ラッシュや、ビッグミットでシャトルという練習方法があるんですが、蹴りを1回ずつ左右で蹴ったら、次は2回ずつ左右で蹴って、3回、4回と数を増やしていきます。6回までいったら5回、4回と今度は回数を減らしていくんです。あとは重量級の選手と組手をして打たれ強さを鍛えました。朝練にも皆さんが付き合ってくれましたね。練習は1日2時間くらい。あまり長くやらないで短く早くやりました。集中して、長くやるとだらけるので早く終わらせます」
福地の身体には力(りき)みがない。これを18歳にして、どのように身に付けたのか。
「倒そうと思って力んでしまうと足が全然動かなくなってしまうんです。だから脱力を意識して、パワーではなくスピードで技を効かせるようにしています。最初はどうしても力んで肩に力が入ってしまうんですが、脱力を練習中もずっと意識して力まないようにしていました。
足を動かすと自然と力みがなくなってくるんですよ。だから組手では常に止まらないようにしています。空手って足を止めての打ち合いが多いじゃないですか。自分はそれをやると弱いので、相手が誰であれ、色帯でも重量級の黒帯でも足を止めないことを意識して、疲れた時も意識して練習していたら自然と身に付きました。だからステップワークが自分の組手の要なんです。ステップは塚本徳臣選手の試合を見て研究しました」
■カラテワールドカップ決勝戦で前田優輝にリベンジしたい
白蓮会館の杉原正康館長は沖縄で白蓮の大会があったため、ウエイト制の会場には来られなかったが、支部長を通じて電話で「頑張れよ」と福地を激励した。
また、「つかみ(相手をつかむと反則になる)だけは気をつけろ」とアドバイスされたという。「自分は練習中でもそうなんですが、つかみ癖があるんです。館長には試合前の指導でも注意されていました」(福地)。
福地が最初に迎えたヤマ場は3回戦の庄田力弥(一光会館)戦だった。「彼とはいつも仲良くしていて、何回も試合をしているのでお互いのパターンも分かっていたから、大会を通して一番しんどかったです」。2回目の延長戦で判定勝ちし、大会2日目に駒を進めた福地だが、続く4回戦でも強敵が待ち受けていた。
「新極真会の選手では4回戦で戦った郷内稔選手が一番印象に残っています。初戦はいつも動きが硬いんですが、この試合でも全然体がほぐれなくて。
自分の上段膝蹴りで郷内選手が倒れかけたんですが、それでも気持ちで向かってきたので強いなと思って苦戦しました」
決勝戦には「ここまで来たら獲ってやる!」との強い意気込みで臨んだ。「アウェーだから倒さないと勝てないと思っていたので、上段は常に狙っていました。
緑選手の胸へのパンチはけっこう重かったのでそれだけ気をつけて。接近戦のラッシュが凄くて、それに飲み込まれたら負けると思ったのであまり接近戦には持ち込まず、ヒット&アウェーでいきました。
ここでもステップが活きましたね」
優勝を決めた直後は「本当に嬉しかったんですが、なかなか実感が湧きませんでした」という福地だが、仲間たちの祝福を受けてようやく喜びを噛み締めた。
「凄いことをやっちゃったぞ、と思いました。支部長の皆さんにも応援していただき、館長もみんなも喜んでくれて。館長には“おめでとう。よくやったな”と言っていただけました」
これで来年リトアニアで開催される『第5回カラテワールドカップ』への出場権を獲得。日本代表の一員として福地は空手母国ニッポンの威信をかけて戦うことになった。
「勝ちに行くしかないですね。ワールドカップでは流派は関係なく、日本代表として優勝を狙いに行きます。多分、前田優輝(第26〜28回全日本ウエイト制軽量級王者)選手が代表権利を獲って出てくると思うので、決勝でリベンジを果たしたいですね。前田選手とは去年の大会で対戦したんですが、凄く速くて、下段廻し蹴りが効いていたのは分かったのでずっと下段を狙っていたんですが、なかなか動きが止まらなくて負けてしまいました。自分では勝ったかなと思っていたので、相当悔しかったです。今回も決勝でリベンジしたいと思っていたんですが、前田選手が欠場して実現しなかったので、ワールドカップの決勝戦で対戦したいです」
2009年に開催された『第4回カラテワールドカップ』では、第1回から日本人選手が死守してきた軽量級王座をカザフスタンの選手に奪われた。福地が日本に王座を取り戻すことが出来るか、注目される。
関連リンク
・ゴールドジム Web site
・試合レポート「大波乱!軽量級は他流派が制し、中量級で新王者が誕生
」
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