有明省吾の実像を追え!(前編) ※後編はこちら
「極真空手、思い出を挙げればキリがない」の第54回。今回も、極真会館の前身である大山道場にまつわる話。夢とロマンがたっぷり詰まった大山道場の取材に奔走していた時のエピソードを綴っていきたいと思う。
さて、劇画『空手バカ一代』初期の副主人公的な存在であった有明省吾は、本名・春山一郎として実在していたというのは空手ファンなら誰もが知っているであろうお話。ボクはその春山一郎をとことん追跡しようと思ったのである。
エピソードは古参道場生の皆さんからいろいろと聞くことが出来た。その話をまとめると、当時としてはかなり身長が高くて身体も大きく(イメージとしては八巻建弐に近かったとの証言あり)、非常に器用で当時すでにカカト落としのような技も使っていたという。しかし、テクニシャンというよりは荒っぽい“剛”の組手をやるタイプで、気性も相当激しかったらしい。街で暴れて、大山倍達総裁や当時の指導員が警察に呼ばれたこともあったそうだ。
極真カラテ史上に残る“天才”と謳われた大山泰彦師範は、春山とライバル関係だったそうで、やはり荒々しく力で攻めてくるタイプだったと証言している。どの古参道場生に聞いても、春山は天才だった、強かったという答えが返ってきて、ますます幻想は膨らんでいった。ところが、一人だけ異論を唱える人物がいた。
“鬼の黒崎”こと黒崎健時先生である。黒崎先生に春山のことを聞くと………