熊久保 昔の高島さんはイコール修斗ってイメージがあったんですけど、今は柔術やグラップリングってイメージが強いじゃないですか。それはなぜなんですか?
高島 当時の僕にとって本当の総合格闘技は修斗だけだったんです。マガイモノを真剣勝負って売り物にして、チケットを売っていた人たちがいたわけじゃないですか。何よりショックだったのは、真剣勝負だって信じて読んでいたのに、その記事を書いた人間が「あれを真剣勝負って思っていたの? あんなの八百長に決まっているじゃん。バカじゃない?」って言われたことなんです。
僕は八百長は嫌いですよ。でも選手は三番目に悪いと思うんです。例えば奥さんが病気でどうしてもお金が必要だって状況で八百長をするのは、人間的に考えてしょうがないと思うじゃないですか? 誰だって奥さんの命は大切なんだから。
そこで嫌いになるのは八百長をやらせる主催者なんです。「1試合八百長をやって負けてくれたら500万円払う」じゃなくて「真剣勝負の3試合契約で150万円・150万円・200万円払う」って言ったら、その選手は八百長しなかったと思うんですよ。
熊久保 あ〜、なるほど…。
高島 そうだと思いません? お金持ちが貧しい国の人たちに大工道具を渡して「ここで働け」って言うのか、それとも拳銃渡して「強盗しろ」って言うのか。多くの日本のプロモーションは強盗をさせてきたわけですよね。
最初は良心の呵責に耐えられなかった人たちが、強盗をしてもマスコミに叩かれなくて、誰にも文句を言われなかったら、神経が麻痺して強盗するのが当たり前になるでしょう。僕はそういう人たちがピュアな人たちだったことも知ってるから、プロモーション・主催者が2番目に嫌いなんです。でも1番嫌いなのは、それを格闘技として伝えたマスコミなんですよ。
僕もその時代にこの業界にいて、自分だけ真剣勝負だけを書いてましたとは言えないから、もし罰せられるんであれば、僕も罰せられますよ。やっぱりマスコミは責任があると思うし、信じる人は子供の頃に活字で見たことが嘘だなんて思わないじゃないですか?
格闘技だけじゃなくて、例えばダイビング雑誌なんかで本当は危険な場所なのに、お金をもらっているからキャンペーンのために「みんなで行こう!」って書くことがあるかもしれない。僕も旅行雑誌をやっていたころは、一度しか行った事がないお店なのに「行き着けのお店」って書いたこともある。
熊久保 新聞って絶対だと思っていたじゃないですか? でも、そうじゃないんですよ。僕がGBRを始めて色んな記者会見に行くようになって感じたのは、「なんであの話からこの記事が出来るの?」ってことなんです。
高島 岡見勇信が「ふんどし巻いて出る」なんて記事が出たことがあったけど、彼はそんなこと言わない子じゃないですか? それで話を聞いたら新聞記者に「ふんどしでも巻いて出る?」って聞かれて「ええ」って答えただけらしいんですよね。僕も北星ジムの松浦にね…
熊久保 古い! 誰も覚えてない(笑)!
高島 それはいいとして(笑)。誘導尋問的に「引退します」って言わざるをえないように持っていったこともあります。大人になったら活字になっていることも裏をとらないといけないって分かってくるけど、活字をそのまま信じちゃう子たちに対する責任は、記者一人一人がもっと強く持たないといけないと思うんですよ。
それは僕が記者として食えるようになってからの身の置き方なんです。だから選手と一緒なんですよ。僕が食えない時期だったら、この試合を書けって言われれば、それがどんな試合であっても生活のためにやっていたと思うし。ようは修斗にはそれがなかっただけなんですよ。
佐藤ルミナも言ってたんですけど「修斗という名前でなくてもいい。総合格闘技が広まってくれれば」と。色んな問題はあるかもしれないけど、一応は総合格闘技が広まったじゃないですか。高島=修斗って言われたけど、当時、どれだけの記者が総合格闘技の取材に来てました? みんなムエタイか極真だったでしょう。
熊久保 僕はエリック・パーソンVS山田学を見に行きましたよ!
高島 それこそ誰も覚えてない(笑)。ただ総合格闘技が広まった分、垣根が下がったと思うんです。僕はやっぱり総合格闘技は危険なもので、選ばれた人間しかやるべきじゃないと思っている。だから総合格闘技をスポーツとして楽しむためにはグラップリングの普及が必要かなと思うんです。
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