必要とあらば、PRIDEやUFCにも挑む
10月6日(水)東京・帝国ホテルで記者会見が行われ、世界柔道81s級日本代表・秋山成勲のプロ格闘家転向が発表された。
場内が暗転し、秋山のプロモーションビデオの映像が流された。柔道衣からオープンフィンガーグローブ着用&スパッツ姿の秋山の姿が映し出され、見事にビルドアップされた肉体がマスコミの目を引く。映像の最後には、「相手は誰でもかまわない」の文字。そして、柔道衣を思わせる純白のスーツ姿で秋山本人が壇上に現れた。
秋山は声明文を手にし、読み上げる。
「まず最初に、私、秋山は今年7月に強化選手の辞退を申し入れ、理事会に正式に承認されました。今までお世話になった平成管財も5月末日をもって退社しました。そして、今まで柔道で培った心・技・体でプロ格闘家として活動していく事を決めました。これまでお世話になった方々には、心から感謝したいと思います。
私は3歳から柔道を始め、それからは柔道が人生の全てであり、今後も柔道と共に生きていきます。明治時代、講道館四天王と呼ばれた前田光世先輩は、柔道を世界に知らしめるために世界各地で闘い、無敗を誇りました。その後、ブラジルへ渡って教えた柔道がグレイシー柔術の源流になったと聞いております。
私も前田先輩のように、柔道を愛し、柔道を世界中に広めたいと思っている一人です。そのための大きな目標の一つは、柔道の素晴らしさを世界中に見てもらえるオリンピックに出る事だと思っていました。しかし、選考試合で4位に終わり、その目標は果たせませんでした。そんな時、角田師範と出会い、親しくしていただく機会があり、角田師範は正道会館で青少年に空手を教える武道家であり、K-1のリングで試合もするプロでもある。その姿を見て、柔道家とプロ格闘家の両立という気持ちが芽生えました。
アマの柔道は引退しても、柔道を捨てるわけではありません。奇しくも吉田秀彦先輩も柔道をベースにしながら、総合の世界で活躍してます。私も、平成のコンデ・コマを目指す事にしました。そのデビュー戦として、12月31日、大阪ドームで行われるダイナマイトに出させていただく事にしました。相手はまだ決まっていませんが、総合格闘家としてデビューします。必要とあらば、PRIDEやUFC、世界中の大きな舞台に挑んでいく事も考えています。今後も“柔道サイコー”と叫んでいく事を目的としています」
秋山は10月28日に大阪で行われるプロ格闘家としての壮行パーティーに出席、遅くともそこまでには対戦相手も決まる予定だという。谷川プロデューサーは、「今後はいろんなリングに上がるかもしれませんが、デビュー戦にダイナマイトを選んでくれました。対戦相手は柔術の強い選手、K-1のストライカー、あるいは日本人対決、世界の総合の強豪… 秋山選手の決意に相応しい相手を選びたい」と語った。
現時点で考えられるのは、以前からK-1に参戦の噂があるヒクソン・グレイシー、またはホイス・グレイシーなどが有力候補だと思われる。
●記者との一問一答
無差別をやってみたい気持ちもある
ーー対戦相手の希望はありますか?
「基本的には誰でもいいです。未知なる世界で手探り状態なので、誰がいい誰はダメは全くなく、やらせていただけるならどんな選手とでも、と思っています」
ーーK-1参戦を決意した日にちと、練習はどこでやっていますか?
「プロとして決意した日は具体的にはありません。オリンピックの予選が終わって、その前から角田師範と接点があり、プロを遠めで見ていたという憧れはありました。自分のこれからの居場所を考えた時に、プロの世界がいいと思いました。練習は大阪を拠点に、母校の大学へ行ったり、正道会館に練習に行かせていただいています。あとはウェイトトレーニング」
ーー道衣は着て試合をするんですか?
「柔道というものを出していきたいので、基本的には道衣を着たいというのはあります」
ーー打撃を正道会館で習っているという事ですが、いずれは立ち技格闘技K-1への参戦も考えていますか?
「まだ未定です。柔道というものをリングで出したいので、打撃だけとなると柔道のよさを消してしまうので」
ーーお父さんも柔道家ですが、プロ転向にあたって何か言われましたか?
「父親は自分がやる事に何も反対しませんが、母のほうがちょっとあやふやな気持ちで生活していると思います」
ーー打撃はいつ頃から始めたんですか?
「退社したのが5月末日なので、その後です」
ーー打撃の得意技は?
「いや、まだそこまでは…。全然、分からないので。今はただ殴ってるだけです」
ーー体重は?
「現在85sです。いつもの体重とほとんど変わっていないので、試合が近づけば変えていくと思います」
ーー相手は誰でもいいということですが、100sを超えるような相手でもいいんですか?
「自分は身長が高いほうではないので…やってみたい気持ちはありますが、明らかに体重が違うとなると、ちょっと。やってみたいという気持ちはあります」
ーーでは、ボブ・サップが相手でもいいと?
「そうですね。やることに意義があるなら、それはそれで自分の中では楽しいと思います」
ーー吉田選手はライバル視されていますか?
「ライバルとは見ていません。憧れの先輩として見てきたので、同じ舞台に立てる喜びはあります。その気持ちが、ライバル心に変われば、と思います」
ーー次の世界選手権や北京五輪を狙うという選択肢もあったのでは?
「全く考えなかったです。今年のオリンピックに出るために、韓国から帰化しましたし、そのために今までやってきました。その次の世界選手権や北京と言っても、自分の中ではアテネが一番大きかった。その気持ちで柔道を続けても、他の選手に悪いので踏ん切りをつけました」
ーー総合で好きな選手はいますか?
「正直言っていませんが、吉田先輩が柔道家として活躍してるので、意識して見てました」
ーーグレイシーとも闘ってみたいですか?
「もちろん。勝ち負けではなく、強い選手とやりたい」
ーーフィニッシュ技は考えていますか?
「やっぱり柔道を生かした関節、絞め技を使いたいですが、打撃を練習させてもらっているので、角田師範に教わったフックやボディで倒せば恩返しになると思うので、打撃でも倒したいと思います」
PROFILE
秋山成勲(あきやま・よしひろ)
1975年7月29日(29歳)、大阪府出身
身長177p、体重81s
フリー
柔道をやっていた父親の勧めで3歳の時に柔道を始める。その後、清風高校、近畿大学へ進学し、卒業後に韓国へ渡り、市役所に勤務しながら韓国代表として活躍。国際大会でも優勝を遂げた。帰国後、平成管財へ入社。2001年東アジア大会で優勝し、同年9月に日本国籍を取得。取得後に出場した講道館杯、日本国際、パリ国際、釜山アジア大会で立て続けに優勝を飾るなど、81s級の日本代表の第一人者としてその名を轟かせた。2004年7月に柔道界を引退し、プロ格闘家へ転向。血液型はO型。家族は両親と妹。
<主なタイトル歴>
1996 全日本学生体重別2位
2001 東アジア競技大会柔道81s級優勝
2001 全日本実業柔道個人選手権81s級優勝
2001 講道館杯日本柔道選手権81s級優勝
2002 日本国際柔道大会81s級優勝
2002 パリ国際柔道大会81s級優勝
2002 釜山アジア大会柔道81s級優勝
2003 全日本選抜柔道体重別選手権大会81s級優勝
2003 世界柔道81s級日本代表
<経歴>
清風高校→近畿大学→平成管財
<得意技>
足技
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