↑写真左より金平代表、ユーリ、ナザロフ、谷川代表
6月26日(火)都内・会見場にて協栄ワールド株式会社と株式会社FEGの業務提携発表記者会見が行われた。会見には協栄ワールド株式会社・金平桂一郎代表と、株式会社FEG・谷川貞治代表らと共に、協栄ロシアのユーリ・アルバチャコフ代表、協栄キルギスタンのオルズベック・ナザロフ代表の元ボクシング世界王者コンビも出席。未知の強豪発掘へ意欲を見せた。
今回の提携と核となったのが協栄ロシアと協栄キルギスタンの設立。これは協栄ジム所属として過去にボクシングの世界で世界の頂点に立ったユーリ(元WBCフライ級王者)とナザロフ(元WBAライト級王者)の両氏の力によるものが大きい。
ロシアをはじめ中央アジア圏ではボクシングだけでなく、キックボクシングや総合格闘技を志す選手たちの数が非常に多く、またボクシングとそれらの競技を並行してやっているパターンも多いという。そこでボクサーは協栄ジムを通じてチャンスを与えるとした上で、それ以外の競技者を協栄ワールド株式会社を通じてK-1やHERO'Sを主催するFEGのイベントに紹介するという形で業務提携に至った。会見の席上でユーリとナザロフ氏はそれぞれ以下のように、今回の件に関してコメントする。
「K-1と協栄が協力関係になるということで感謝しています。私がボクシングを覚えて、引退後に何をしようかと考えた時に、ボクサーだけでなくキックボクサーや総合格闘家を日本に紹介したいと考えていました。これからはボクサーを協栄に、それ以外の選手をK-1さんにお尋ねしようと思っています。ロシアには高いレベルのスポーツ選手がたくさんいます。その選手たちを協栄とK-1に紹介します。お互い納得のいく条件、契約で関係を気付いていきたいと思います」(ユーリ)
「こうして日本に来れて、この場にいることを大変うれしく思います。私が日本を離れてから十年、すごく変化がありました。私はボクシングで世界王者となり、ボクシングを引退してからは故郷に戻り、ビジネスをやる傍らで、キルギスの首都ビシュケクで体育・スポーツ・観光委員会の委員長を務めています(※資料では委員長代行)。この十年間で日本も、ロシアも、キルギスも変化し、スポーツの面で大きく発展しました。私はキルギスに住んでいますが、他にもウズベキスタンやカザフスタンなど中央アジアからハイレベルな選手をK-1に送るべくやっていきたいと思います」(ナザロフ)
現在の活動状況については「私自身がジムを持っているわけではないですが、私の人脈にはジムを持っている方たちがいるので、そこから選手を連れてくることになるでしょう」(ユーリ)「私の地元には25のジムがありますし、私もボクシングジムをやっています。今から新しい仕事をするというのではなく、すでにこういった仕事はしているという形です」(ナザロフ)とのこと。
彼らの専門外となる総合格闘技に関しても、ナザロフ氏曰く「中央アジアではパンクラチオンやフリーファイトが流行っていて、各団体の中で選手が行き来しているという状態。私も団体の代表者とは知り合いで、何回も大会を観戦したことがある」という。またユーリ氏も「私はボクシングだけでなく総合格闘技やK-1にも興味を持って見ている。私のボクシングの知識はそれらの中に活かせるものがあるだろう」と語っている。「ヒョードルやハリトーノフのような化け物を育ててもらいたい」とは谷川代表の言葉だが、彼らがどんな選手たちを送り込んでくるのか、注目である。
●ユーリ・アルバチャコフ(協栄ロシア代表兼相談役)
1966年10月22日、ロシア出身。
90年2月1日に旧ソ連(現ロシア)から国内初の輸入ボクサーの一人として、協栄ジムからプロデビュー。
92年にタイのムアンチャイ・キティカセムにKO勝ちし、WBCフライ級タイトルを戴冠する。
その後は約3年間、同タイトルを保持し、9度の防衛に成功した。97年11月に現役を退いてからは、母国ロシアへ帰国しボクシングを通じた青少年の育成や後進の指導にあたっている。
●オルズベック・ナザロフ(協栄キルギスタン代表兼相談役)
1966年8月30日、キルギス共和国出身。
90年2月1日に旧ソ連(現キルギス共和国)から国内初の輸入ボクサーの一人として、協栄ジムからプロデビュー。
93年に敵地南アフリカに乗り込み、ディンガン・トベラに判定勝ちし、WBAライト級タイトルを戴冠する。
その後は約4年間、同タイトルを保持するが、あまりの強さに対戦を拒否される不運の名王者でもあった。
現在は母国キルギス共和国で体育・スポーツ・観光委員会の委員長代行を務めており、協栄ジムに所属する牛若丸あきべえの臨時コーチ及びアドバイザーも兼ねている。
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