「現役を引退します……」。元WBA世界フライ級チャンピオン、坂田健史(協栄・30歳)が13日(木)午後、東京・新宿の協栄ジムで記者会見を開き、12年のプロ生活にピリオドを打つことを正式に明らかにした。
→引退発表後、夫人の志江(ゆきえ)さん、1歳になる長女・夕空(ゆら)ちゃんとカメラにおさまる坂田
亀田大毅に挑んで判定負けしてから3カ月間、悩みに悩んだ末に出した結論だった。この間、一時はジムワークを再開したこともあり、現役続行の噂も流れたが、「体力の衰え。以前のような持ち味であるテンポの速いボクシング、気持ちと体力で支えてきた部分がなくなった。それを自覚したことで、もうこれ以上戦えないと感じた」と、引退に踏み切った理由を明かした。
キャッチフレーズの「バーニング・フィスト(燃える拳)」が燃え尽きてしまったということか。同席した金平桂一郎、大竹重幸トレーナーに引退を報告したのは2日前(11日)、両氏とも「本人の出した結論を尊重する」と快く了承。一部スポーツ紙が報じたことから、急きょ記者会見を開いたという。
ひたむきな「努力のボクサー」坂田は広島県出身。98年に20歳で協栄ジムからプロデビューし、01年日本王座獲得。04年の世界フライ級王座初挑戦では、WBA王者ロレンソ・パーラ相手に惜敗したが、アゴを割られながら12回を戦い抜く大健闘。坂田もこの試合を世界獲得戦とともに「忘れられない試合」に挙げている。
07年の4度目の世界挑戦でパーラに3回TKO勝ちで戴冠。5度目の防衛戦でデンカオセーン(タイ)に2回KO負けを喫し王座転落。通算戦績は36勝(17KO)6敗2分だった。
一時は同じ協栄ジムに所属した亀田兄弟の派手な言動ばかりが注目され「結果的になかなか陽が当たらなかった」(金平会長)という不運もあったが、本人は「いい意味でも悪い意味でも、すごく自分を燃えさせてくれた相手であることは間違いないです」と亀田兄弟の感想を語っている。
今後については、金平会長は「将来協栄ジムを譲る選択肢もある」と示唆している。坂田も「すばらしいスポーツを後輩に伝えていきたいという気持ちはある」ものの、すぐの話ではなく、現在は何をするかまだ模索しているところ。
それでも大学で勉強したいとこの春から専修大学の2部(夜間)に入学を決めている。近い将来に会社経営も視野に入れて、マーケティング等を学びたいということだ。引退式は3月14日(月)東京・後楽園ホールで予定されている。
会見を終えると、期せずして報道陣から拍手が起こった。
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